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山本神父入門講座
10. 父である神の配慮
前回は、「主の祈り」を取り上げた。唱え始めた方も多いと思うが、よく分からないと思っておられる方も多いと思う。第2、第3の部分はそれなりに理解できるとしても、第1部の神さまに関わる部分はむずかしい。神さまは見たり、触れたりして捉(とら)えることはできないからである。
だからイエスは、父である神について語るとき、理屈ではなく、私たちの生活と関係づけて説明された。
「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、
体のことで何を着ようかと思い悩むな。
命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。
烏(からす)のことを考えてみなさい。
種も蒔(ま)かず、刈り入れもせず、
納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。
あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。
野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。
働きもせず紡(つむ)ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
あなたがたの父は、これらのものが
あなたがたに必要なことをご存じである。
ただ、神の国を求めなさい。
そうすれば、これらのものは加えて与えられる。
小さな群れよ、恐れるな。
あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」
(ルカ12章22b~24, 27, 30b~32)
烏と野の花を選んで説明されているが、「種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる」し、同様に、今日は咲いていて、翌日は炉に投げ入れられる草でさえ、神はこのように装わせてくださり、すべての物の創り主である神の力とやさしい心遣いが示される。
そのような神さまに、人間はどのように応えるべきなのか。イエスは言われる、「あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい」。
すべてのことが、神のお望みのとおりになるならば、創り主が、文字どおり「主」であることが実現する。それは「主の祈り」にある「御国(みくに)が来ますように」という祈りであり、「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」という祈りは、その実現を祈っている。
イエスは飲食、衣服だけではない。人生の歩みのすべてを神に委ねるように促(うなが)しておられる。自分の力だけでは、その促しに応え切れない。そのための力、光、恵みを願うために、イエスは「主の祈り」を教えてくださったのである。そのことを心に留めて、一日一度とは言わない、折に触れて「主の祈り」を唱えよう。