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山本神父入門講座

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20. イエスの秘められた力

イエスの活動ぶりを聞いた洗礼者ヨハネは、二人の弟子を遣わし、イエスが「来るべき方」であるかを確かめさせた。イエスは、さまざまな癒(いや)し、死者の生き返り、貧しい人への福音宣教を、見聞きしたままに伝えよとお答えになった。これらの力強いわざが、イエスが、「来るべき方」であることを示すしるしである。

ある時、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り、対岸に渡ろうとされたが、「渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。」(ルカ8章22-23節) ところが、突風が湖に吹き降ろし、舟は水をかぶり危険になった。弟子たちは慌(あわ)ててイエスを起こし「先生、先生、おぼれそうです」と言った。「イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱(しか)りになると、静まって凪(なぎ)となった。……弟子たちは恐れ驚いて、『いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか』と互いに言った。」(ルカ8章24-25節)。

カファルナウム近郊の湖
カファルナウム近郊の湖

イエスが行ったさまざまな癒しで、イエスの神とのつながり、神からの力に気づいていた弟子たちは、イエスが命令で突風や荒波を静められたのを見て、イエスの持つ「神の力」が、癒しに限られるのではなく、自然界にも及ぶことを始めて知った。自然界に及ぶ力、それは天地万物の創造主の力である。「あなたがたの信仰はどこにあるのか」とイエスに言われて、弟子たちは、まだまだイエスを知らないことを悟った。彼らは、イエスの新しい面に触れたのである(ルカ8章24-25節)。


対岸では凶暴な男に出会った。「この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖につながれ、足枷(あしかせ)をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆(か)り立てられていた。」多くの悪霊に取りつかれていたので、「軍団(レギオン)」と呼ばれていた。悪霊どもは、イエスが、底なしの淵(ふち)へ行けと命じないようにと願い、イエスの許しを得て、その人から出て、放牧されていた豚の中に入った。すると約2千頭の豚の群れ (マルコ5章13節参照)は崖(がけ)を下って湖になだれ込んで、おぼれ死んだ。少し誇張気味なこの箇所は、悪霊がどんなに凶暴でも、数が多くても、悪霊に対するイエスの力ははるかに勝(まさ)ることを強調している。癒された人は、イエスに従いたいと願ったが、「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったとをことごとく話して聞かせなさい」とイエスは言われた。イエスに従う道はただ一つではない。(ルカ8章26-39節参照)。


カファルナウムに戻られたイエスは群衆に歓迎された。そこへ会堂長ヤイロが来た。12歳ぐらいの一人娘が死にかけていたので、イエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるように願った。イエスはすぐにその家に向かわれたが、群衆に遮(さえぎ)られて進めなくなった。

「ときに、十二年このかた出血がとまらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。この女が近寄ってきて、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。・・・イエスは『わたしに触れたのはだれか』・・・『だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ』と言われた。女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。」(ルカ8章43-47節) イエス以外には治せる人はいない。しかし、願うのも恥ずかしい。希望と困惑のなかで、彼女はイエスの服の房にさわった。すると望みどうり病気が治った。しかし、やはりイエスに分かってしまった。

「彼女に恥をかかせないで、そっとしておいて……」。そんな気持ちになる。しかし、イエスは体から力が出ていくのと同時に、彼女の苦しみ、忍耐、ひたむきな希望・・・も感じたに違いない。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」 秘(ひそ)かに治すこともできた。そうすれば、同じような苦しみを持つ人には、何のメッセージも伝わらない。イエスは苦しむ人が、その人なりのやり方で、イエスの力に触れることを望まれた。

わたしたちも「そっと、後ろから」でもよい、困ったとき、苦しいとき、イエスのところへ行こう。


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