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山本神父入門講座
48. 新しい集団の試みと充実
ネゲブの植物
photo by:Hiroko Abe
十二使徒と新しい集団の動きを伝える使徒言行録は、福音書と同じルカの著である。ルカは、復活したイエスと使徒たちとの関係を独特の筆致で描いている。絶望してエマオへと去って行く二人の弟子たちを追い、見知らぬ旅人として同伴者となり、食事の席で「パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」(ルカ24章30節)ときに、彼らの目が開けてイエスを認めるが、その時はもうイエスは消えておられた様子の描写は特に印象深い。一緒におられるけれども、経験でとらえることはできない。前と同じようにはおられないけれども、別のかたちで共にいて、働いておられることを巧みに描いている。その手法は使徒言行録でも変わらない。
新しい集団の内外で起こるいろいろなことを描きながら、新集団が大きくなり、内的に充実してゆくさまを、簡潔に伝えている。その幾つかを追ってみよう。
初代の信者は「共産制?」と思わせる記述がある。「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。... 信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである」 (使徒言行録4章32-35節)。
美しい共同生活であるが、いつもすべてが理想どおりにはいかない。思いがけないほころびが生じ、それがその「制度」の本当の意味を伝えている。アナニアとサフィラ夫妻は共謀して、土地を売り、その代金をごまかして、一部だけを持って来て使徒たちの足元に置いた。「すると、ペトロは言った『アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。』この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。」三時間ほどして何も知らずに来たサフィラもペトロにうそを言おうとして、おなじように息絶えてしまった。「教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた」 (使徒言行録5章1-11節)。
この「共産制?」は、信者に課せられた義務、おきてではなかった。それは、信者たちが、洗礼によってキリストと結ばれ、キリストにおいておたがい一つに結ばれていると信じていたことの表現であり、その一致を深めていく手段であった。だから信者たちは、「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた」のである (使徒言行録2章46-47節)。
このような内的な充実とともに、外部との関係も強まっていった。「使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていたが、ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。しかし、民衆は彼らを称賛していた。そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。人々は病人を大通りに運び出し、担架や床に寝かせた。ペトロが通りかかるとき、せめてその影だけでも病人のだれかにかかるようにした。また、エルサレム付近の町からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れて集まって来たが、一人残らずいやしてもらった」 (使徒言行録5章12-16節)。
読んでいると、イエスがガリラヤで宣教を始められたころのありさまを思い出す。あの時にイエスを中心に起こっていたことが、今はペトロを中心に起こっている。しかし、ペトロは、イエスに取って代わる「新しい教祖」ではない。ペトロのまわりに集まった人々は、ペトロをではなく、「主を信じ」たのである。
このような使徒たちの働きを見て、ねたみに駆られた大祭司と仲間のサドカイ派の人々は、使徒たちを捕らえ、最高法院に立たせた。「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。それなのに、お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている」と尋問した大祭司にペトロは答えた。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右にあげられました。わたしたちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊もこのことを証ししておられます」 (使徒言行録5章17-32節)。
この答えを聞いた最高法院の人々は怒り狂い、使徒たちを殺そうと思った。ところが、ちょうどその時、最高法院の内部から、意外な動きが起こったのである。そこにいたガマリエルというファリサイ派の第一人者ともいわれる、有名な教師が発言を求めた。彼は後の使徒パウロになったサウロの律法の先生でもあった。ガマリエルは、使徒たちに席を外させたうえで次のように言った。
「イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい。以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数四百人くらいの男が彼に従ったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、つき従った者もみなちりぢりにさせられた。そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかも知れないのだ」。
理路整然としたこの意見に、最高法院の出席者たちは従った。そして、筋のとおらない話であるが、最高法院のメンツもあったのだろう、「使徒たちを呼び入れてむちで打ち、イスラエルの名によって話してはならないと命じたうえ、釈放した」。一方、使徒たちは、「イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び」と使徒言行録は書いている。イエスの受難の予告が理解できず、それから逃れよう逃れようとしていた使徒たちは、イエスの使徒として立派に育った。そして、最高法院の命令などは無視して、「毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた」 (使徒言行録 5章33-42節)。
新しい集団は本当の試みにさらされた、しかし、その試みの中から使徒たちと信者たちを強め、支える動きが出てきた。すべてのものを支配される救い主の計らいが感じられる。