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山本神父入門講座
49. 多様性、組織化、新しい協力者
信者が増えるに連れて問題が起こった。「ギリシャ語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである」 (使徒言行録 6章1節)。 ユダヤ人には、異国・ディアスポラで生まれ育ち、ギリシャ語を日常語とするヘレニストと、パレスティナで生まれ育ち、ヘブライ語を日常語とするユダヤ人とがいた。ヘレニストは自分たちの会堂を持ち、聖書朗読もギリシャ語でしていた。信者たちにも両方ユダヤ人がいて、言語、生活慣習の相違からくる律法や神殿に関する考え方の違いなどで、信者の間にも不協和音があった。それが日々の分配に関する不平となって現れた。
十二使徒は素早く対応した。「そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。『わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。』一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った」 (使徒言行録 6章2-7節)。この七人を教会では最初の助祭と呼んでいる。キリスト教会の組織化の第一歩である。
現在のカトリック教会は、ローマ教皇を頭に、司教、司祭、助祭、信徒によって形成される一大組織である。全世界は教区に細分され、教区長は司教で司祭、助祭とともに宣教や信徒の世話に携わっている。このような組織化は、最初の助祭の任命から始まったのである。最初の助祭の任命に際して、使徒たちが祈り、彼らの上に手を置いたのは、この任命が、ただの組織とその運営だけに関わるものではなく、イエスが十二使徒に託した神の国のための教え、道徳、祭儀等、キリスト教の宗教活動にかかわるものだからである。教会の発展とともに、助祭、司祭、司教の任命は、単なる人事措置ではなく、秘跡によって行われるようになった。これが叙階(じょかい)の秘跡である。
ステファノの石殺し
ところで、ステファノは食事の世話だけでなく、「恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。」しかし、議論してもかなわなかった反対者たちが、謀略によってステファノを捕らえ最高法院に引いて行った。大祭司の尋問に対するステファノの答弁は大説教となった (使徒言行録 7章1-53節)。説教を聞いた人々は、「激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言った。人々は... ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。... ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言った。それから、ひざまずいて、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた」 (使徒言行録 7章54-60節)。こうしてステファノは最初の殉教者となった。
聖霊降臨後、迫害のたびに十二使徒はいつも救われてきたが、ステファノは殉教した。キリストが教会とともにおられるということは、例えば、迫害の時いつも不思議な形で救われるというような、定まった効果を挙げるということではない。教会では昔から「殉教者の血は、新しいキリスト者の種である」と言われてきたが、ステファノの殉教以後の教会の歩みを見ると、そのように感じる。
ステファノの殉教を期に、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たち以外は皆、ユダヤとサマリア地方に散って行った。エルサレムでは、サウロというファリサイ派の若い指導者が、教会を荒らし、男女を問わず信者を捕らえて牢に送っていた。
一方、散っていった人々は、ただ逃げていたわけではない。彼らは福音を告げ知らせながら巡り歩いた。ステファノとともに助祭になったフィリポは、サマリアで宣教し多くの病人や汚れた霊に取りつかれた人々をいやし、目覚ましい活躍をした。迫害の中でも教会は発展し続けた。「エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にもくだっていなかったからである。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。... このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強くあかしして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った」 (使徒言行録 8章1-25節)。いま司教が堅信(けんしん)の秘跡を授けるため教会を訪問することの始まりと考えればよい。
パウロの回心
このころの教会の大きな出来事は、迫害者であったサウロの回心である。サウロは信者を捕らえてエルサレムに連行するための大祭司の手紙を持ってダマスコに向かっていた。そのとき、「突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。』... サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。」
そこへ主から幻で知らされたアナニアという信者が来て、「サウロの上に手を置いて言った。『兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです』すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、『この人こそ神の子である』と、イエスのことを宣べ伝えた」 (使徒言行 9章1-20節) 。
一大転回とでもいうべき展開である。大迫害者が一夜にしてキリストの宣教者に変わったのである。驚き感謝する信者たちに混じって、サウロの真意を疑う人が出ても当然である。一方、ユダヤ人たちはサウロを裏切り者と断じ、その命を狙うようになった。こうして使徒パウロが誕生した。すべて見えないけれどもともにおられる主がなさったことである。