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山本神父入門講座

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56. ゆるしの秘跡

告解場

洗礼を受けると、その人のすべての罪が赦され、神の恵みによって、神の子のいのちを受ける。しかし、受洗後に大きな罪を犯したらどうなるのか。もう赦されないのか。弱い人間は、ついそのことが気になる。初代ローマ教会では、迫害のときに教えを捨てた棄教者のことが問題になった。悔い改めて、赦しを得ることはできるのだろうか。

ある時、徴税人や罪人が、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。それを見て「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言ったファリサイ派の人々や律法学者に対してイエスは、「見失った羊」、「無くした銀貨」、「放蕩(ほうとう)息子」のたとえを話された。

第1のたとえは、100匹の羊を持っている人がその1匹を見失ったら、99匹を野原に残して、見失った1匹を見つけ出すまで捜し回り、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めてお祝いをするというのである。

2番目のたとえは、10枚のドラクメ銀貨を持っている女が、その1枚を無くしたら、見つけるまで徹底的に捜し、見つけたら友達に言って喜んでもらうというので、両方とも、悔い改める一人の罪人が、天で、神の天使の間でどれほどの喜びがあるかが教えられている(ルカ 15章1-10 節参照)。

第3のたとえは、2人の息子の弟の方が、父の財産の分配を要求し、それをもらうと遠国に行って放蕩の限りを尽くし、財産を使い果たしてしまう。そこで我に返った息子は言った。「父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください』と。」そして父親のもとへ行った。父親は息子を憐(あわ)れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。そして、いちばん良い服や履物を身に着けさせ、大宴会を開いて言った。「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」(ルカ 15章11-32節 参照) 。この3つのたとえは、悔い改める罪人を、イエスが赦さないはずはないということを教えている。


イエスは、復活した日の夕方、使徒たちに現れて言われた。「『父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る』」(ヨハネ20章21-23節)。このようにして、イエスは洗礼後に犯した罪を赦すために、ゆるしの秘跡を制定された。使徒たちの権限については、次の個所でも言われている。

ペトロの信仰告白のあとイエスは言われた。「わたしはあなたに天の国の鍵(かぎ)を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ16章19節) 。また、罪を犯した兄弟の取り扱いについて述べたあとでも、イエスは言っておられる。「はっきり言っておく、あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ 18章18節)。

罪人が、直接イエスに、あるいは神様に罪を告白して赦しを願うのではなく、イエスは、罪を犯した人が、教会で使徒たちから赦しを得るようにされたのである。教会は、イエスの定められた赦しの秘跡を早くから実行してきた。初代ローマの教会では、棄教、姦通、殺人などの大きな罪が、教会で公の告白と長期の償いの期間のあと、一度だけは赦されるという形で、ゆるしの秘跡が行われたと言われている。

以後、教会は幾世紀にもわたって、その本質的ないろいろな要素を保ち、しかも、教会の状況の変化に対応しながら、ゆるしの秘跡を行ってきた。

初代教会の公の告白は、個別の告白に変わり、極めて大きな罪が、一生に一度だけ赦されるというのではなく、現在は信徒の望みと必要によって、ゆるしの秘跡に度々あずかるり、大罪は当然としても、小罪と呼ばれる日常生活での罪を告白し、赦しを受けることができるようになっている。


ゆるしの秘跡は、告解、告白、和解などいろいろな名前で呼ばれている。それぞれがこの秘跡の異なった面を示している。赦しは、罪によって神に背いた者が、回心して神に心を向け、神に逆らった状態から解放され、自分を全く神にゆだね、神の子として生きるようになることを表している。

和解について、「カトリック儀式書 ゆるしの秘跡」は次のように書いている。「ゆるしの秘跡を受ける時、信者は『神に背いた罪をあわれみ深い神からゆるされ、同時に、罪を犯して傷つけた教会、しかも愛と模範と祈りをもって罪びとの回心のために努力している教会と和解する。・・・人間は皆、超自然的きずなで互いに結ばれているため、一人の聖性は他の人々によい影響を及ぼし、同様に一人の罪は他の人々を傷つけるのである。』このため回心は、罪によって傷つけてしまった兄弟たちとの和解を常に伴う。しかも人は不正を働くとき、他の人と組んで行うことが少なくない。同様に回心する場合にも、人は互いに助け合うことによってキリストの恵みをとおして罪から解放され、すべての善意の人とともに正義と平和を世にもたらすように努めるのである。」 (「カトリック儀式書 ゆるしの秘跡」11-12 頁) 告解、告白は、この秘跡にあずかるときの大切な行為、罪人が悔い改めて、罪を言い表して赦しを願う行為を差している。

ゆるしの秘跡は、具体的にどのように行われるのか。まず、前回のゆるしの秘跡以来の生活を反省し、告白する罪を決める。必ず告白しなければならないのは、大罪とも言われる大きな罪である。例えば、他人の生命、体、名誉を著しく傷つけたこと。姦通、姦淫、人工妊娠中絶などである。その他の罪については、すべてを網羅する必要はない。

次に、悔い改め、犯した罪を悲しみ、忌みきらい、二度としないことを決心することである。ゆるしの秘跡は、受ける人に、悔い改めがなければ成立しない一番大切なものである。

このような準備を経て、告白の場に臨む。告白を聞き、赦しを与えるのは司教あるいは司祭である。そこで、罪を告白し、司祭の勧めのことばと償いを聞く。続いて司祭は、次のような祈りで赦しを与える。「全能の神、あわれみ深い父は御子キリストの死と復活によって世をご自分に立ち帰らせ、罪のゆるしのために聖霊を注がれました。神が教会の奉仕の務めを通してあなたにゆるしと平和を与えてくださいますに。わたしは、父と子と聖霊のみ名によって、あなたの罪をゆるします。アーメン」

ゆるしの秘跡は、どうしても必要な場合にはすぐに受けるものであるが、そうでなくても、降誕祭、復活祭前の、待降節、四旬節には受け、その他にも、月に1度とか、3、4ヵ月に1度とか、定期的に受け、秘跡の恵みを受けることが望ましい。


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