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新世紀ルーツへの巡礼
ヤコボ・アルベリオーネ司祭へ
ナルツォーレ 聖ベルナルド教会へ
ベルナルド教会内部 |
ベルナルド教会十字架 |
1908年に、ヤコブは、学業の終了を繰り上げて、クネオ県、ナルツォーレ村に赴任し、9カ月の間小教区の司牧に携わることになりました。
ナルツォーレの教会では、主任司祭が老齢で、あまりいろいろの職務を果たすことができず、二人の助任司祭に支えられていたのでした。ところがその一人が他の小教区へ転任してしまい、その後、アルベリオーネ神父が派遣されたのでした。
2カ月後には、もう一人の助任司祭もこの村をあとにすることになり、新司祭アルベリオーネ神父は、ナルツォーレの教会の重荷を一人で担うことになりました。
主任司祭の病状は重く、アルベリオーネ神父は、限界をおくことなしに働くつもりでも、彼自身あまり健康に恵まれていなかったため、たびたびすべてを行うことは困難でした。村の人たちは彼をはじめて見たとき、あまりにも彼がやせているのに驚きました。
ナルツォーレの教会の人たちは、彼をよく受け入れました。彼は、聖堂の中に「聖アントニオのパン」と書いた箱、いわゆる献金箱を備え、人々は彼の勧めに従って献金し、彼はそれを毎週集め、そのお金で小教区の貧しい人たちに分け与えるパンを買ったのでした。アルベリオーネ神父のミサのささげ方、説教の仕方、聖堂外でもつねに見られる積極的な態度、子どもたちへの愛情などは人々の好感を呼び、人々をひきつけるものとなりました。
その村で、将来、アルベリオーネ神父がパウロ会を創立する時に、彼に従ったジュゼッペ・ジャッカルド(後にティモテオ・ジャッカルドと呼ばれる)という、敬けんで賢い少年と出会うことになります。アルベリオーネ神父は、学資の負担を引き受けて、この少年を神学校に送ったのでした。
この村でアルベリオーネ神父は、助任司祭として司牧をはじめました。ここでの体験は、彼が将来創立するパウロ家族の大切ないくつかの要素と結ばれています。たとえば、司牧精神、司牧活動における女性の貴重な存在、最初の召命を捜すことなどです。
1908年6月10日、ナルツォーレの主任司祭は帰天し、8月20日には、前の助任司祭が新しく主任司祭となって戻ってきました。その翌月12日には、教区長レ司教の視察があり、子どもたちが堅信の秘跡を受けました。その中に、ジュゼッペ・ジャッカルド少年もいたのです。
レ司教は、アルベリオーネ神父を近くから眺め、彼の働きを人々から聞き、彼が教会で評判がいいのを知りました。その後、司教は、アルベリオーネ神父に、神学生たちの霊的指導という職務を委ねるため、小教区の仕事から彼をとりあげることにしたのでした。
1--3 ヤコボ・アルベリオーネ司祭へ