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教会カレンダー

待降節第2月曜日

第1朗読 イザヤ書 35章1~10節

福音朗読 ルカによる福音書 5章17~26節

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第1朗読 イザヤ書 35章1~10節

荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ 砂漠よ、喜び、花を咲かせよ 野ばらの花を一面に咲かせよ。
花を咲かせ大いに喜んで、声をあげよ。
砂漠はレバノンの栄光を与えられカルメルとシャロンの輝きに飾られる。
人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。

弱った手に力を込めよろめく膝を強くせよ。
心おののく人々に言え。
「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」

そのとき、見えない人の目が開き聞こえない人の耳が開く。
そのとき歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。
荒れ野に水が湧きいで荒れ地に川が流れる。
熱した砂地は湖となり乾いた地は水の湧くところとなる。
山犬がうずくまるところは葦やパピルスの茂るところとなる。

そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ汚れた者がその道を通ることはない。
主御自身がその民に先立って歩まれ愚か者がそこに迷い入ることはない。
そこに、獅子はおらず獣が上って来て襲いかかることもない。
解き放たれた人々がそこを進み主に贖われた人々は帰って来る。
とこしえの喜びを先頭に立てて喜び歌いつつシオンに帰り着く。
喜びと楽しみが彼らを迎え嘆きと悲しみは逃げ去る。

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福音朗読 ルカによる福音書 5章17~26節

ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。
この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。
主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。

すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。
しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。
イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。

ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。
「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」
イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。
「何を心の中で考えているのか。『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」
そして、中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。
その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。
人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た」と言った。

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「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ…」で始まる今日の朗読は救いへの希望を歌う美しい箇所として読まれてきました。バビロニア捕囚から解放され、破壊された神殿も再建されたものの、第2イザヤやハガイが約束していた栄光は見えず、干ばつの年が続き人びとは不安定の中に生きていました。その人びとに「預言者は雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。…神は来て、あなたたちを救われる」と宣べます。

神の救いが現実となる時には、「見えない人の目が開き聞こえない人の耳が開く…」のです。この箇所はイエスの到来についてご自分のしるしとして洗礼者ヨハネの問いにこの内容で答えています(マタイ 11.5参照)。

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病気を治しておられるイエスを知った「男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした」とあります。「イエスの前に」と2度書かれています。病人がイエスの前に置かれた時、彼らの罪は許され、希望にみちた将来が開かれたので、彼らは神を賛美しながら家にかえりました。

人びとは驚き「『恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た』と言った」とあります。恐れに打たれるほどの驚き、とどまって祈りたい言葉です。

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