教会カレンダー
降誕節12月29日
第1朗読 ヨハネの手紙一 2章3~11節
福音朗読 ルカによる福音書 2章22~35節
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第1朗読 ヨハネの手紙一 2章3~11節
(愛する皆さん、) わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。
「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。
しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。
これによって、わたしたちが神の内にいることが分かります。
神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。
愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。
この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことのある言葉です。
しかし、わたしは新しい掟として書いています。
そのことは、イエスにとってもあなたがたにとっても真実です。
闇が去って、既にまことの光が輝いているからです。
「光の中にいる」と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。
しかし、兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません。闇がこの人の目を見えなくしたからです。
福音朗読 ルカによる福音書 2章22~35節
モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親は(イエス)を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。
また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。
この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。
シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
この僕を安らかに去らせてくださいます。
わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
これは万民のために整えてくださった救いで、
異邦人を照らす啓示の光、
あなたの民イスラエルの誉れです。」
父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。
シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。
「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
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ヨハネは、「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません」と強い口調で批判していますが、それはヨハネの教会を去っていった人びとについてです。
「神を知っている」人とは、ヨハネにおいて、独り子を与えるほどに世を愛した神に触れている人のことです。
7節から「古い掟」、「新しい掟」について述べ、ヨハネは「あなたがたが初めから受けていた古い掟」ですが、「わたしは新しい掟として書いています」と。「新しい掟」というと、「あなたがたに新しい掟を与える」(ヨハネ13.34)とのイエスの言葉が思い浮かびます。それは、イエスが愛したように愛するということです。それをヨハネは、手紙の中で「光の中に」いると表現しています。
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22から24節には、レビ記に書かれているように、律法を守り、初子を主にささげるヨセフとマリアについて書かれています。
続く25から27節では、シメオンとの出会いが描かれています。そこには「霊」という言葉が3回も使われています。
シメオンは、「正しい人で信仰があつく、…聖霊が彼にとどまっていた」こと、「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた」こと、その「霊”に導かれて彼は神殿の境内に入った」ことです。そして、そこでシメオンは幼子と出会います。 シメオンは、神をたたえ「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」と歌いはじめます。
続いて「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです」と言います。異邦人も救いに招きいれられます。これを聞いた両親は「驚いていた」とあるので、シメオンの言葉を理解しきれなかったのでしょう。シメオンは両親の驚きにはとどまらず彼らを祝福し、マリアに生まれてくるイエスが「反対を受けるしるしとして定められている」と告げます。これを聞いたマリアはすべてを心におさめ思い巡らしておられたのしょう。