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第6回 「アブラハムの選び」~3.「仲介者であり、全啓示の完結」であるキリスト・イエス


神は、人を救うために、人間に働きかけることをやめられませんでした。その歴史を「救いの歴史」と言うことをお話いたしました。前回は、特に、神がノアに呼びかけられたことについてお話しいたしましたので、今回は、「第1項 神の啓示 2.啓示の初段階」の続きからはじめましょう。


神はアブラハムを選ぶ

神は、地の面に散らされていた人々を集めるため、「多くの国民の父」(創世記17.5)となるようにアブラムをお選びになり、アブラハムという名前をお与えになりました。それは、「多くの国民の父」を意味する名前でした。こうして、地上のすべての民がアブラハムによって神の祝福を受けるように定められたのです。

アブラハムについては、旧約聖書の創世記11章27節以下に書かれていますが、特に12章の初めには、主なる神から「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい」との命令を受け、アブラハムが旅立ったことが書かれています。

アブラハムは、「ハランを出発したとき75歳であった」(創世記12.4)と書かれていますから、大家族の父のもとで何不自由なく暮らしていた彼が、自分の自由意志で神の呼びかけに「はい」と答え、家を出て行くことは、人間的に考えてみると、いのちの危険さえ招きかねない大変なことでした。

アブラハムは、ただ神の言葉に信頼をおき、将来どうなるかもわからず、どこに導かれるかもわからずに、出発しました。この彼の決断は1回限りのものではなく、それ以後、一生続くものとなりました。

 

おそらく、彼にとって、神との関係でいちばんの試練と感じたことは、次のことでしょう。高齢の彼に待望の一人息子が誕生しました。彼は、イサクと名付けられ、アブラハムや妻のサラから、大変かわいがられて成長しました。しかし、そのひとり子・イサクを神へのいけにえに捧げるように、神から求められたのです。アブラハムは、神のお望みに従い、イサクをいけにえに捧げようとしました。しかし、神はアブラハムの忠実さ、神への愛をご覧になり、別のいけにえを準備していてくださいました。

「信仰者の父」と呼ばれるような彼の生き方によって、神はアブラハムとその子孫を祝福し、アブラハムと契約を結ばれ、「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」(創世記12.3)と約束されました。創世記は、「信仰者の父」アブラハムに続いて、その子孫たち、イサク、ヤコブ、ヨセフたちが、信仰の道を歩んだ歴史が書かれています。アブラハムから出た民族は、「選ばれた民」、「神との約束の後継者」となりました。これは、いつの日か、ひとつの教会の内に、全世界のすべての人々を「神の子」として祝福し、共に集う準備のためでした。


神はご自分の民イスラエルを育てる

アブラハムの子孫たちは、紀元前13世紀ごろ、エジプトで奴隷状態におかれていました。神は、彼らにモーセを指導者として立て、エジプトを脱出させ、シナイの荒れ野で、彼らと契約を結び、律法をお与えになりました。このシナイ山での神とイスラエルの民との契約の時から、イエス・キリストの到来に至る時代を、キリスト教では旧約時代と呼んでいます。この間に成立した聖書が旧約聖書です。 旧約聖書をご覧になるとよくわかりますが、そのほとんどの主語は神になっています。そこから見ても、神が、民を導いておられたということがわかります。

神に選ばれ、神との特別の絆で結ばれたイスラエルの民が誕生したのです。それは、この民が、神を唯一の神として認め、神に仕え、約束された救い主を待ち望むようにするためでした。ですから、神は、イスラエルを守り、導き、語りつづけられました。

40年の荒れ野での生活の間、神は彼らを養い、約束の地に導き入れ、入国した後では、士師たちを通して民を助けられました。士師とは、神の霊を受け、民の指導者となり、社会秩序を維持するために働いた人々をさしますが、士師記では、外敵からイスラエルの民を守る英雄の姿が描かれています。

紀元前1000年ごろ、イスラエルに王制がしかれるようになり、有名なダビデ王、その子であるソロモン王が活躍しました。その後、イスラエルは北王国と南王国に分裂しました。この王国時代には、神は主に、預言者を通して、ご自分の意志を伝えられました。

神は忠実な方ですが、その民はしばしば神との約束を忘れてしまいました。神は民に預言者を通して、ご自分の思いを伝え、「悔い改め」を訴えられました。預言者とは、神からの言葉を託されて、神の言葉をそのまま伝える神から選ばれた人々です。この預言者たちの語った神の言葉は、旧約聖書の中でも預言書と呼ばれるもので、「イザヤ書」「エレミヤ書」などがあります。預言者たちは、神の民の不忠実と、非人道的な不正を非難しました。また、神は、預言者を通して、民に、救いの希望と、すべての人々に与えられる新しい永遠の契約を待ち望む心を育てられたのです。この希望は、特に、主の貧しい人々と謙遜な人々によって、受け継がれていきました。

イスラエルに見られる神との親密なかかわりは、世界の宗教においても独特のものです。神は、イスラエルの民を通して、人類すべてに、ご自分の祝福と救いの約束をしてくださっています。


3. 「仲介者であり、全啓示の完結」であるキリスト・イエス

神のことば・キリスト

旧約時代を通して、神はいろいろな方法で、イスラエルの民を「神の民」として準備してこられましたが、神はご自分のひとり子イエス・キリストをこの世に送られ、私たち・人類と話そうとなさいました。

イエス・キリストは、「父である神の唯一の完全な、決定的な言葉です」(65項)。キリストにおいて、神はすべてを語られ、キリスト以後、神のそのほかの言葉はありません。ですから、キリストは「神と人とを結ぶ唯一の仲介者・全啓示の完結」と呼ばれます。しかし、神の啓示は完結したとしても、それを受け取る私たち人間には限界があります。そのため、啓示のすべての意義を、いつの時代にも明らかにし、深めていく務めがあるのです。

皆さんの中には「私的啓示」という言葉を聞かれた方があるでしょう。啓示は、イエス・キリストによって、完結しましたが、ある時代、ある国の人々に、キリストの啓示をより完全に、より豊かに生きるために、ある人に神が呼びかけられることがあります。これを「私的啓示」と呼んでいますが、これは、イエス・キリストの啓示とははっきり区別されています。

第2回目の「要約」が出ています。忙しい人も、少なくともこの内容だけは、目を通してください。

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