home>キリスト教入門>カテキズムを読もう>第1編 信仰宣言>第1部>第9回 聖書 –(1)

カテキズムを読もう

バックナンバー

第9回 聖書 –(1)


第3項「聖書」


1 キリスト––聖書の唯一のみことば

聖書は「永遠のベストセラー」だとよく言われます。実際そうですし、また、一番多くの言語に訳されている本としても、おそらく聖書の右に出る本はないでしょう。

聖書のすべてのことばは、ただひとつのことば・キリストを表しています。キリストをとおして、神は人間に伝えたいご自分のすべてのことを、説明なさっているのです。このことを、『カトリック教会の教え』では、次のように述べています。「キリスト教にとってイエス・キリストご自身が神のことばそのもの、つまり神の啓示です。しかしこのキリストにおける神の啓示を、具体的に手に取って触れることができるのは、聖書においてです」(30ページ)。

私たちは、よく「2つの食卓を持っている」と言います。2つの食卓とはなんでしょうか。 1つは、もちろん、ミサの食卓、つまりミサでいただく「主の御からだ」です。他の1つは、「主のみことば」である聖書です。教会はその最初からこの2つの食卓を、非常に大切にしてきました。聖書によって人々は、つねに、神のいつくしみを味わって養われ、神からいただくみことばによって、生きる力をくみ取ってきたのです。


2 聖書の霊感と真理

本書105項には、ゴシック体で「神が聖書の作者です」とまず最初に書いています。これは、何を意味しているのでしょうか。私たちがよく「『マタイによる福音書』は、マタイによって書かれた」と言っているのは、間違っているのでしょうか。いいえ、そうではありません。皆さんは、こういう名画をご覧になったことはありませんか? マタイやマルコやルカがペンを持って、紙に何か書いているのですが、その背後に天使がいて、いかにも彼ら聖書記者の耳に何かをささやいているという絵です。これは、当時の人が聖書はどのように書かれたかを考え、描いたものです。

聖書を書いたと言われる人々を「聖書記者」と呼びますが、福音書を書いたマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネを特に、「福音史家」ということもあります。

神は、マタイやマルコなど聖書記者を選んで、神の霊感をお与えになられました。そのため、神が彼らの内で働かれることにより、彼らが神のお望みになることすべてを、そして、そのことだけを、書くことができたのです。ですから、霊感によって書かれた書である聖書は、私たちに真理を教えてくれるのです。聖書は、私たちの救いのために、神がお望みになった真理を、忠実に、誤りなく教えてくれるものです。

私たちが聖書を大切にするからといっても、私たちのもっているキリスト教の信仰は、「書物の宗教」ではありません。生きる神のみことばの宗教なのです。私たち人間の間に受肉され生きたおられるみことばです。


3 聖書の解釈者である聖霊

聖書の著者は神であると言いましたが、人間に伝えるためには、その人々に通じる言葉をとおしてしかコミュニケーションできません。また、各聖書記者たちが、聖書を書こうと思った意図がありました。

ですから私たちは聖書を読むとき、神が何を私たちに語りかけようとなさっているかをよく知るためには、聖書記者たちがもっていた意図や、その時代背景、当時の状況や文化、「文学類型」、当時普通であった感じ方、話し方などを考慮にいれる必要があります。

しかし何よりも私たちが忘れてならないことは、聖霊の照らしを受けて聖書を読む必要があるということです。先ほど、聖書は霊感によって書かれたと申しましたが、その同じ霊感をもって読むということです。


聖書を忠実に解釈するための3つの基準

第2バチカン公会議は、私たちに、聖書を解釈するための基準を、『啓示憲章』の12項に示しています。
①「聖書全体の内容と一体性」に特別な注意を払うこと。
  聖書の中は多くの書に分かれていますが、そのすべては神のご計画の一貫した導きの  もとに書かれた1つの書ですから、当然「聖書全体の内容と一体性」に注意を払うべ  きだということがわかります。 ②「教会全体の生きた伝承」に従って読むこと。
  聖書を教会の心で読むということです。教会は、前に見たように、その伝承に神の言  葉を生き生きと保っているので、伝承に従って読むことにより、聖書を正しく解釈で  きるのです。 ③信仰の類比に留意すること。
  信仰の類比とは、信仰の色々な真理が、相互においても、啓示の教えの全体においても一貫しているということです。


聖書の意味

聖書を読むとき、4つの意味があります。この4つの意味は、聖書を理解するうえで、私たちを豊かに富ますものです。今、この4つの意味をみてみましょう。
①文字どおりの意味
②霊的意味
   ⅰ寓意的意味
   ⅱ道徳的意味
   ⅲ天上的意味

以上の意味について、中世の詩はこのようにうたっています。   「字義は出来事を、寓意的意味は何を信じるべきかを、   道徳的意味は何を行うべきかを、天上的意味はどこに向かうべきかを教える」(118項)と。

しかし、最終的には、神のことばを保ち、解釈することは、教会の判断に委ねられていることがらです。

前へ 

▲ページのトップへ