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第16回 全能の神


第3節「全能の神」を読みましょう。信条の中で、唯一、神の属性として挙げられているのが「全能」ということです。私たちは、神の全能の力、その働きがすべてに及んでいることを信じます、と宣言するのです。


「み旨のままにすべてをおこなわれる」

聖書は、その初めから終わりまで、神の力がすべてに及んでいること、そして、その神の力を、色々に表現して神の全能を表しています。神は全能の力で天地万物を創造されました。神は、その造られたものを、お望みのままに用いられるのです。人の心も出来事もつかさどっておられます。ですから、神は「歴史の主」と呼べるのです。


「全能のゆえに、あなたはすべての人をあわれまれる」

全能の神はまた、私たちのいつくしみ深い父でもあります。神は、父としてのご自分の全能を、子どもである私たち一人ひとりの必要を配慮したり、無限の憐れみを示しておられます。


神の表面的無力さの神秘

私たちは、時々、神は全能の神なのに、どうしてこんな苦しいことや災害を与えるのか、本当に神は存在するのか、と思うことさえあります。人間のこの問いに対する満足のいく回答は、なかなか得られないかもしれません。これは、ひとつの神秘と言えることです。全能の神は、私たち一人ひとりと、この世のすべてを救うために、ご自分の最愛のひとり子・イエス・キリストをこの世に遣わし、彼をとおして、彼によって、彼とともに、彼のうちに、救いを成就しようとなさいました。しかし、その方法は苦しみを受けて、十字架に付けられ、死に、復活するというものでした。この神秘的ななさり方で神の全能さを用い、私たちを救おうとなさったのです。

私たちにとっては、このことは、ただ信仰によってしか理解できない神秘です。聖母マリアのように、また聖パウロのように、自分の弱さ、不足を知って、ただ神にだけ信頼するという生き方をすることによって、それを悟ることができるものです。この信仰を深めるためには、「神にできないことは何もない」ということを、心に刻み込む必要があります。このような神の全能への確信があれば、信条で述べる事柄の一つひとつは、容易に信じることができるでしょう。

ここでも、最後に「要約」があります。よく読んでみましょう。

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