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第26回 聖霊によって人となり、おとめマリアから生まれ


前回に続いて、「聖霊によって人となり、おとめマリアから生まれ」という信条についてご一緒に考えてまいりましょう。


第2節 「……聖霊によって人となり、おとめマリアから生まれ」


1 聖霊によって人となり……

聖書を読むと、聖霊の派遣は、つねに御子の派遣と一体になっていることがわかります。私たちが、「受胎告知」と言われている絵で表現されているのは、「聖霊によって人となり……」というシーンです。聖霊は、マリアに遣わされました。それは神の力によって、マリアに御子を宿すためでした。おとめマリアの胎内で人となられた神の御父のひとり子は、その存在の最初から、「キリスト」でした。


2 ……おとめマリアから生まれ

私たちがマリアについて信じていることは、キリストへの信仰に基づいています。さらに、マリアについての教会の教えは、キリストへの教会の信仰を表しているのです。


マリアについての永遠からの予定

父なる神がその愛するひとり子を、この世に遣わそうとされ、一人のイスラエルの娘・マリアを選んでおられました。

旧約時代から、神は多くの女性たちを選び、彼女たちをとおして、マリアの使命を準備しておられました。たとえば、聖書の最初に出てくる女性・エバは、不従順の罪を犯しましたが、悪魔に打ち勝つ子孫の約束と、すべてのものの母となる約束を受けました。神はご自分の約束したことへの忠実さを示すため、無力で、弱い女性たちを、その使命のために呼び出されました。-アブラハムの妻サラ、サムエルの母ハンナ、ルツなど。

マリアは、主にすべてを信頼して、主に頼るほかすべのない謙遜な貧しい人々の中で、特にすぐれた女性です。マリアによって、新しい救いの歩みが始まったからです。


無原罪の宿り

マリアは救い主の母となるために、神から特別な恵みを受けておられました。 教会は、次第に、マリアに与えられた恵みについて知るようになり、1854年、教皇ピオ9世は、聖母マリアの「無原罪の宿り」を宣言しました。


「おことばどおり、この身になりますように」

聖霊の力によって「いと高きかたの子」を産むというお告げを受けたマリアは、神にはおできにならないことは何もないという強い信仰をもっていました。ですから、マリアの答えは、私たちが毎日「お告げの祈り」で唱えている、「わたしは主のはしためです。おことばどおり、この身になりますように」というものでした。このように、エバの不従順によってもたらされた乱れが、マリアの従順によって解き放たれ、マリアは「生けるものの母」と呼ばれるようになりました。


神の母マリア

聖霊によってマリアに宿られたかたは、御父の永遠のひとり子 イエス・キリストです。教会は、マリアが真の「神の母(テオトコス)」であると公言しています。


おとめマリア

教会は、マリアの処女受胎を、イエスが私たちと同じ人間として来られたことの「しるし」とみなしています。これは、旧約の預言者イザヤが「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む」と預言したことの実現なのでした。


「終生の処女」であるマリア

マリアは真の意味でおとめと言えます。それは、マリアが神の御子を産んだときも、その後も、終生処女であられた方だからです。マリアはただひとりの子、イエス・キリストだけを産んだ方ですが、そのたぐいまれな処女性により、霊的に私たちすべての人の母となられました。


神の計画の中で、おとめのままで母となられたマリア

マリアがおとめのままでイエスの母となられたことは、神の救いの計画の中で当然なことでした。イエスが人となられてからも、その前も、イエスの父は神だけです。また、新しいアダムであるイエスは、おとめから生まれることによって、信仰によって神の子とされる私たち人類の新しい誕生の初穂となられたのです。

マリアは母でもあり、おとめでもあることによって、教会を象徴しています。教会は、宣教と洗礼によって、神から生まれる子どもたちに、新しい永遠のいのちを与える母ですし、また神への忠実を保つことによって、処女性を守っているからです。

ここでも、最後に「要約」がつけられています。簡単にまとめられていますから、一人で勉強するときは大変役立つものです。ぜひ読んでみてください。

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