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第43回 キリストのからだである教会


2. キリストのからだである教会

教会である神の民について、キリストは、ご自分のからだにたとえて教えてくださいました。今回は、そのことをご一緒に見ていきましょう。


教会はイエスとの交わりである

イエスはご自分に従う者たちを選び、ただその人々だけにではなく、キリストを信じるすべての人に、「わたしにつながっていなさい。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」とおっしゃいました。ぶどうの木とその枝のたとえのように、教会とイエスとの関係は、いのちの交わりがある関係です。

実際、イエスはその公生活の最初から、弟子たちと生活を共にしながら、ご自分の使命や喜び、苦しみを分かち合っておられました。「世の終わりまであなたがたと共にいる」と約束してくださったイエスは、ご昇天ののち、聖霊を遣わしてくださり、イエスとの交わりを、より親密なものとしてくださいました。教会を「キリストのからだ」とみなすことは、キリストと教会の関係を表現するのにふさわしい言葉です。今、この点について見てまいりましょう。


「ただ一つのからだ」

洗礼を受けた信者は、キリストに結ばれ、ただ一つのからだを構成するものになります。キリストに結ばれることによって、私たち信者はキリストからいのちをいただき、主との交わりに日々生きるものとなるのです。からだは一つですが、その部分がたくさんあり、それぞれが異なっているように、「キリストのからだ」を構成している私たちにも、多様性があり、その務めにもそれぞれ相違があります。そこには、男女の区別も、人種、国籍の区別もありません。みなキリストにおいて、一つなのです。各自が自分の務めを果たすことによって、キリストのからだが成長していくのです。


キリストがこのからだの頭である

では、このからだの頭はだれでしょうか。もちろん、キリストです。キリストは、教会を通して、ご自分の支配をすべてのものに及ぼそうと計画されました。キリストのからだである私たちは、「キリストが形作られるまで」、キリストと似たものとなるように召されています。そのために必要な糧を、キリストは私たちにお与えくださいます。

頭であるキリストに結ばれた私たちは、キリスとの過越の神秘にも結ばれるものとなったのです。キリストと教会とは「全キリスト」を形作っており、教会とキリストとは「一つ」なのです。


教会はキリストの花嫁である

今、教会とキリストは一つであると申し上げましたが、同時に、互いが関連し合っている区別される2つのものでもあるのです。この関係を、しばしば「夫」と「妻」の関係で表しています。教会は、キリストに愛された花嫁であり、キリストはこの花嫁を「聖なるもの」にするためにご自分のいのちをささげ、永遠の契約を結ばれ、すべての神の子を生み、育てる母となさったのです。


3. 聖霊の神殿である教会

教会はまた「聖霊の神殿」とも言われます。それは、キリストの霊である聖霊によって、キリストのからだの各部分が結び合わされ、その各部分に聖霊が住んでおられるからです。「キリストのからだ」の「魂」ともいうべきものが、この聖霊なのです。


カリスマ

この「キリストのからだ」は、「キリストの神秘体」とも呼ばれていますが、この神秘体には特に、「カリスマ」と呼ばれる聖霊の恵みが与えられています。カリスマは、聖霊の恵みであり、直接・間接に教会の益となり、教会の発展、人々の益となり、世界の必要に応じるものです。カリスマは恵みであり、感謝すべき神からの贈り物ですが、独りよがりのものではなく、神の愛に基づいて行使されるべきものなのです。この意味で、カリスマの識別と、教会の司牧者の指導が必要になるのです。

最後に、よくまとまった「要約」が付いています。ぜひご覧ください。

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