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第68回 いつ挙行するのか –(2)


前回、教会で典礼を「いつ挙行するのか」についてご一緒に学んできました。今回は、その「いつ」という典礼の時の続きです。


3. いつ挙行するのか

時課の典礼

「時課の典礼」という言葉をお聞きになったことがありますか? こちらの方は、首をたてに振っておられますが、こちらでは「いいえ」という声がしましたね。では「聖務日課」とか「聖務日祷」とかという言葉はどうですか? あるいは「教会の祈り」という言葉は、お聞きになったことがおありでしょう。これは、すべて「時課の典礼」に関係ある言葉です。現在私たちは、『教会の祈り』という本を使って、「時課の典礼」を行っていますが、第2バチカン公会議以前には、司祭や修道者たちは、「時課の典礼」を「聖務日課」とか「聖務日祷」と呼んで、祈っていました。

「時課の典礼」は、教会の公の祈りで、「時課」という言葉からもわかるように、決められた時間を神を賛美し、聖化することによって、1日中を神にささげ、聖とされるように構成された祈りです。時課の祈りには、旧約聖書の詩編の祈りが、1日のそれぞれの時間、あるいは典礼の季節、その日の祝日にふさわしいものが選ばれています。さらに、神のことばの朗読、教父の著作の朗読が読まれます。これは、その祈りを唱えている私たちが、祝われている主の神秘、典礼の意味を一層よく悟り、それに生きるように導くものです。こうして、神のことばが朗読され、黙想されて、祈りとなる聖書朗読が、典礼の中に根をおろすようになるのです。

以前は、「教会の祈り」は、司祭と修道者のための祈りと誤解する人が多かったのですが、最近では、いろいろな教会で、毎週ではなくても、特に典礼の季節と言われている「待降節」「降誕節」「四旬節」「復活節」などに、司祭、信徒、修道者がそろって一緒に、「教会の祈り」と唱えたり、歌ったりするようになったことは、うれしいことですね。

「聖務日課」は司祭と修道者だけの祈るものと考えられていた昔から、信徒も何とかして、ある時間を祈ることによって、1日を聖なるものとしたいと、熱心に願っていました。こうして祈られ始めたのが、「お告げの祈り」だといわれています。毎朝6時、お昼の12時、夕方の6時に教会が「お告げの鐘」を鳴らすのに合わせ、「お告げの祈り」を唱えることによって、1日の働きや家事仕事などをささげ、聖化するように努めていたのです。

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