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第69回 どこで挙行するのか


前回、教会で典礼を「いつ挙行するのか」ということの中で、特に時課の典礼についてご一緒に見てきました。今回は、「どこで」という典礼の場についてのお話です。


4. どこで挙行するのか

今、私たちの生きている新約時代においては、典礼の挙行の場は、特定の場所に限定されません。これは、全地が聖なるもので、人間に委ねられていることからきています。その中での、大切なのは、人々です。信者である私たちが一堂に会するとき、私たち一人ひとりは、「生きた石」として、「霊的な家」を造り上げているのです。とはいうものの、礼拝するための場として、建物としての教会も必要です。

この教会は、単なる集会場所ではなく、私たち人間とともにおられる神の住まいでもあります。ですから、教会の建物は、キリスト教の教義にも合致したデザインであり、ここに生きて働いておられるキリストを表しているものでなければならないのです。

私たちが教会の中に入って、いちばん目立つ場所に置かれているのが、祭壇です。この祭壇は、すべての秘跡の源であるキリストの十字架を表すものであり、同時に、私たち信者を養う主の食卓でもあります。

私たちは、聖体祭儀において、主の2つの食卓で養われるとよくいわれますが、その第一が主の食卓である祭壇であり、もうひとつは、主のみことばがのべ伝えられる朗読台です。ですから、教会の建物の中では、朗読台も大切にされるものです。さらに、教会の中には、主イエス・キリストの御からだであるご聖体を安置する聖櫃が、置かれています。ふだん、あまり私たちの目には触れませんが、洗礼や病者の塗油の秘跡で用いる聖香油も、教会の中にあります。その教会が司教座聖堂であれば、司教座(カテドラル)がふさわしい場所に設置されています。さらに、洗礼を授けるための洗礼盤、罪の赦しを受けるための場所も必要です。

このようなものを備えた教会には、終末的な意味もあります。教会の中に入るには、敷居をまたがなければなりませんが、敷居は罪のよって傷つけられた世界から、すべての人が新しいいのちに入るように招かれていることを表しているものです。ですから、教会はすべての人に扉を大きく開けて、迎え入れ、歓迎してくれる神の家でもあるのです。

最後の要約があります。必要なことが簡潔にまとめられているものです。ぜひ、要約に目を通してください。

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