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第72回 洗礼の秘跡
第1項 洗礼の秘跡
前回は、入信の秘跡と言われるものには、3つの秘跡があり、洗礼、堅信、聖体の秘跡がそれである、というお話しをいたしました。今回からは、その入信の秘跡の第1に挙げられている「洗礼」についてのお話です。
ある小さな教会に行ったとき、その教会で熱心に奉仕活動をしている信者さんに出会いました。お話をしていてわかったことは、その人は今年の復活徹夜祭に洗礼を受けた人でした。その人を見ていてつくづく感じたことは、本当に、洗礼の秘跡は、その人の生活全体の基礎となっているということでした。
洗礼の秘跡は、それだけではなく、霊的生活に導く扉であり、他の秘跡への入り口でもあるのです。洗礼によって、罪から解放され、神の子とされ、キリストを頭と仰ぐ人々と結ばれて、神の民の一員となり、教会に迎え入れられ、その使命に生きる者とされました。こうして考えると、洗礼とは「水とことばによる、再生の秘跡」ということばがぴったりですね。
1 この秘跡は何と呼ばれるか
この秘跡は、「洗礼」と呼ばれます。ギリシア語で「洗礼を行う」という「バプティゼイン」という言葉は、「沈める」という意味をもっている言葉です。水の中に「沈める」ということが表していることは、洗礼を受ける人がキリストの死と結ばれて埋葬され、キリストと共に復活し、キリストと共に墓から出て、聖パウロが聖書の中で言うように、「新しく創造された者」となるということです。
さらに洗礼は、「聖霊によって、新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗い」とも呼ばれるものです。キリストは「誰でも水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない」と教えてくださったのですが、洗礼こそは、まさにこの「水と霊による誕生」を意味しているのです。
また、洗礼は、「照らし」とも呼ばれています。それは、洗礼を受けた人の精神が照らされるからなのです。キリストご自身は「すべての人を照らすまことの光」として、この世に来られた方です。洗礼を受けることによって、このキリストご自身のみことばを受け、照らされ、今度は洗礼を受けた人自身が、「光の子」となり、「世の光」となるのです。