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第77回 洗礼の恵み

今日は、洗礼によって与えられる豊かな恵みについて、ご一緒に考えてみたいと思います。


7 洗礼の恵み

洗礼を受けることによって得る恵みは、洗礼の儀式の中に、示されています。 父と子と聖霊の名によって、水を受けることは、罪を清め、神の子として新たに誕生することを表しています。


罪のゆるしのために……

洗礼によって、すべての罪がゆるされます。 すべての罪とは、人祖が神に背き、その罪がすべての人に及んでいる原罪、洗礼を受けるまでにその人が犯したすべての罪(これを自罪といいます)、その罪の結果であるすべての罪の罰がゆるされるということを意味しているのです。しかし洗礼を受けた翌日から、何も苦しみ悩みのない喜びの日々が始まるというのではありません。苦しみや病気、死、その人の性格の傾きからくる弱さ、また、情欲、罪の傾きなどはなくなるわけではありません。


「新しい被造物」

洗礼は、洗礼を受けた人を、「新しい被造物」に生まれ変わらせます。洗礼を受け、キリスト者となるということは、神のいのちである超自然のいのちに生きる必要な恵みをすべていただくということなのです。それは、洗礼によって、神は、「成聖の恩恵」「義とする恵み」を与えておられるということです。

この恵みによって、神を信じ、神に希望し、神を愛することができるようになります。これを対神徳(たいしんとく)と言っています。さらに、聖霊のたまものを受け、聖霊に動かされて生き、行動することができるようになります。倫理徳を受けることによって、ますます善を行うことができるようになるのです。


キリストのからだである教会に結ばれる

洗礼を受けた私たちは、キリストのからだである教会に結び合わされ、キリストの肢体となります。洗礼を受けた人はみな、キリストの祭司職、預言職、王職にあずかる者となります。永遠の祭司であるキリストの祭司職にあずかることを、信者の共通祭司職と言います。


 キリストに結ばれた私たちは、自分一人で生きているのではなく、教会の交わりの中に生きるものとされたのです。ですから、神の子として秘跡を受け、さまざまな霊的援助を受けるという権利だけでなく、義務も生じてきます。自分かってに教会生活をするのではなく、教会の指導者たちの方針に従い、尊敬と愛をもって奉仕する必要もあるのです。

教会によって与えられた信仰の恵みと喜びを、人々に宣言する務めも、さらに、神の民の一員としての使徒敵活動、宣教活動に参加する義務もあるのです。


キリスト者の一致のための秘跡敵きずな

洗礼は、すべての人の一致の土台であり、すべてのキリスト者の一致の秘跡敵きずなです。


消えない霊印……

洗礼によってキリストのものとされた信者は、キリストのものとされたことを示す消えない霊印をしるされています。たとえ、罪を犯したとしても、この霊印は、どんなときにも消されることはありません。ですから、洗礼は1回限りのものなのです。


「主の霊印」を捺された私たちキリスト者は、洗礼の恵みに生涯忠実であり、信仰を保ち、復活の希望を持ち、神と顔と顔を合わせて出会うとき、永遠のいのちに入ることができるのです。


終わりに、「要約」がつけられています。コンパクトにまとめられていますから、便利なものとしてお使いください。

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