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第86回 秘跡的いけにえにおける感謝、記念、現存
5 秘跡的いけにえにおける感謝、記念、現存
◆あらゆる時代のミサカトリック教会は、その最初から、実質的には同じ形式で、エウカリスチア(感謝の祭儀、ミサ)を祝ってきました。それは、最後の晩餐における「私の記念としてこのように行いなさい」とおっしゃられたキリストのご命令に従っているからです。私たちは、そのキリストのご命令を「いけにえの記念」を行うことによって果たしています。
大地の恵みであるパンとぶどう酒を聖霊の力とキリストのことばによって、キリストのからだと血に変え、御父にささげるのです。こうすることによって、キリストは、実際に、神秘的に現存されるのです。ですから、私たちはエウカリスチアを、次ように理解していると言えます。
––御父への感謝と賛美
––キリストおよびそのからだである教会の、いけにえによる記念
––キリストの言葉とその霊の力とによるキリストの現存
では、これを一つずつ見ていきましょう。
エウカリスチアのいけにえにおいて、神に愛されている全被造物が、キリストの死と復活を通して御父にささげられるものですから、神の創造のみわざに感謝してささげる、賛美のいけにえとも言えるでしょう。
エウカリスチアという言葉が「感謝」ということを意味しているように、教会の行うエウカリスチアは、御父への感謝のいけにえであり、神が与えてくださったすべての恵みに対する教会の感謝を表す神への賛美です。さらに、エウカリスチアは、教会がすべての被造物に代わって、神の栄光を歌う賛美のいけにえでもあります。
この賛美のいけにえは、キリストを通してしかささげることができません。それは、キリストが私たち信者一人ひとりをご自分と一致させてくださり、同時に、キリストが御父にささげられるご自分の賛美と執り成しに一致させてくださるからです。私たちが、ミサの奉献文の中でささげるように、こうして御父への賛美のいけにえは、キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに受け入れられるのです。