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第109回 司教の協力者である司祭の叙階
今回は、司祭叙階と助祭叙階についてお話いたしましょう。
司教の協力者である司祭の叙階---
司教叙階は、「叙階の秘跡の充満」と言われることについては、前回お話いたしました。司祭は、司教の大切な協力者として叙階されます。司教は、自分のもっている役務の任務のある部分を、司祭たちに伝授します。こうして、司祭たちは、キリストから託された使徒的派遣(使命)を正しく果たすために、司教の団階の協力者となるのです。司祭の務めは、司教の務めに結ばれています。ですから、キリストがご自分のからだを建設し、聖化し、統治なさる権威に参与しているのです。
司祭の祭司職は、キリスト教入信の秘跡を前提としていますが、それとは、別個の叙階の秘跡によって、聖霊の塗油を受け、その魂に消えることのない霊印(カラクテル)が押されるのです。この秘跡によって、司祭は頭であるキリストの代理者として行動することができるようになり、祭司であるキリストに似たものとなるのです。
司祭は、叙階の秘跡の力によって、新約の祭司として、福音を宣教し、信者を司牧し、祭儀を執り行うために聖別されます。しかし、自分のもつ権威を行使する場合には、司教に従属してその権威を行使するのです。
司祭は、叙階の秘跡の賜物によって、限られた狭い範囲で使命を果たすだけではなく、世界的な規模の救いの使命のために準備され、どこにおいても福音宣教する心構えを常にもつようにされるのです。
司祭は、キリストの代理者として、感謝の祭儀や集会の儀などの聖なる務めを果たします。司祭は、この感謝の祭儀において、キリストの神秘をのべ伝え、信者の祈りを、新約の唯一の犠牲、キリストのいけにえに結び合わせ、ご自身を御父にささげられたキリストの犠牲を、再び主が来られるときまで、ミサの犠牲において現存するものとし、ささげるのです。司祭は、このキリストという唯一の犠牲から、役務を果たすためのすべての力をくみ取っているのです。
司祭は、この重要な務めを1人で果たしているのではありません。自分の司教と共に、同じ教区の司祭たちが、一つの司祭団を構成しているのです。司祭団の一致は、叙階式のとき、司教の按手に続いて、司祭たちが按手することで、典礼的に表されています。
叙階式のとき、司祭が司教に従順を約束し、式の終わりには、司教と司祭が平和の挨拶を交わしますが、これには、深い意味があります。司教が司祭に対して、自分の協力者、子、兄弟、友であることを表し、司祭は、司教に深い愛と従順を示すことを表しているのです。
「奉仕の務めのための」助祭の叙階---
助祭職は、叙階式の時に、司教の按手だけによって助祭に任じられます。このことが示しているように、助祭は、祭司職ではなく、奉仕の務めのために、特に司教と結ばれていることを表しているのです。司教と司祭の叙階のときもそうであったように、助祭叙階においても、秘跡の恵みは、助祭の魂に消えない霊印をしるします。特に、助祭叙階において、神の恵みは、受階者を、すべての人に仕える者となられたキリストに似たものにします。
助祭の主な任務は、秘跡、特に感謝の祭儀の時に、司教、司祭を補佐し、聖体を配り、結婚式に立ち会って祝福し、福音を宣言し、説教し、葬儀を司式し、その他の種々の奉仕に献身することです。
第二バチカン公会議後、カトリック教会では、「終身助祭職」を復興させました。終身助祭は、既婚者にも授けられるもので、日本の教会にも、終身助祭として教会の中で活躍なさっておられる方が何人もいらっしゃいます。彼らは、教会の中で、秘跡によって強められ、典礼、司牧生活、社会事業、福祉事業などをさらに効果的に果たしているのです。