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第124回 キリスト教の葬儀


皆様の中には、カトリック教会で行われた葬儀に参列なさったことがない方もいらっしゃるかもしれませんが、初めて参列なさった方々の驚きは、「明るいのですね」ということです。では、なぜ、カトリック教会での葬儀が明るいのかをご説明いたしましょう。

 

第2項 キリスト教の葬儀

洗礼を受け、信者になった人は、ミサの参加し、「信仰宣言」(使徒信条)を唱えます。その中で、最後に次のように唱えています。「……からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン」と。

今までお話してきた、7つの秘跡、その中でも入信の秘跡としてお話した秘跡は、すべてこの宣言が成就することを目指しているものです。

 
1 キリスト者の最後の過越

私たちキリスト信者が死ぬことには、どんな意味があるのでしょうか。「いやいや、辛くて、悲しいことだから、死には意味が認められません」、という方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではないのです。

私たちキリスト信者が、生涯キリスト共に歩き、キリストに希望を置いて過ごしてきたことは、キリストの死と復活という「過越の神秘」に照らして、はじめてはっきりと理解されるものです。

キリスト・イエスに結ばれて死を迎えるキリスト者は、体を離れて主イエスのもとに向かう存在となります。

キリスト者の「秘跡的生活の終点」は、死の日です。この時、洗礼を受け、新しいいのちに誕生した、そのいのちが完成されるのです。洗礼と堅信によっていただいた聖霊の働きによって、私たちのうちに形作られた「御子の似姿」が完全に実現されるのです。聖体の秘跡を受けるたびに、前もって招かれ、参加していた「神の国の宴」に実際に参加させていただくのです。しかし、この「神の国の宴」には、婚礼の衣装をまとっている必要があります。そのために、死後、清めが必要な場合もあります。

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