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第125回 葬儀


前回に引き続き、カトリック教会で行われる葬儀についてお話いたしましょう

 
2 葬儀

キリスト教葬儀は、教会の典礼祭儀です。

葬儀が目指していることは、次のようなことです。
①亡くなられた方と、教会のメンバーの生きた交わりを表すということ。
②葬儀に集まった共同体の仲間に、参列者を迎え入れること。
③参列者に、永遠のいのちを告げ知らせること。

葬儀を行う方法はいろいろありますが、どの方法も、キリスト教的死の、「過越としての特徴」を表しています。祭服の色などに関しても、各地方の状況と伝統に順応したものを使うことができます。

日本の教会が行っているラテン典礼の「葬儀式次第」には、3種類の葬儀の方法が提示されています。これは、葬儀がどこで行われるかによって分かれているものです。その場所とは、家、教会堂、墓地です。

葬儀の式の展開は、すべての典礼伝承に共通しており、4部で構成されています。今、一つひとつを見ていきましょう。


共同体による迎え入れ–––

式は信仰を表す挨拶によって始められます。故人の近親者が、聖書の「慰めの」言葉で迎えられます。共に集まって祈る共同体は、さらに、「永遠のいのちの言葉」を待ちます。

共同体の一員の死は、「この世」の視野をはるかに超えた、復活されたキリストへの信仰の真の視野に信者を導き入れる出来事です。葬儀の時だけでなく、故人の命日、7日目、30日目などを祈念するときも同様の出来事を表しているものです。


ことばの典礼–––

葬儀の際には、信者でない人も参列する機会が多いので、特に入念に「ことばの典礼」の準備をする必要があります。

説教においては、キリスト教的死の神秘を明らかにすべきです。


エウカリスティア(聖体)のいけにえ–––

葬儀が教会堂で執り行われる場合には、聖体がキリスト教的な死という過越の現実の中心となります。このとき、教会は故人との生きた交わりを表します。それは、聖霊において、キリストの死と復活のいけにえを御父にささげながら、教会の子どもである故人が、罪とその結果から清められ、この世から御父へのもとへと行く過越が完成し、神の国の食卓にあずかることができるように、御父に願い求めるのです。

このようにして行われる聖体によって、信者の共同体、とくに故人の家族は、故人のために、また故人と共に祈りながら、故人が生きた一員として属するキリストの体と一致し、「主に結ばれて眠った」ものと一致して生きることを学ぶのです。


告別–––

故人への告別は、埋葬前に行われる故人への最後の挨拶です。しかし、告別は私たちと故人とが離れてしまうことを意味しているのではありません。私たちは皆、キリストのために生きているものとして、決して離ればなれになることはありません。キリストに向かって同じ道を歩みながら、キリストに結ばれている私たちは、皆、キリストに結ばれて一緒に再会するのです。

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