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第126回 キリストと一致して生きる
今回から、いよいよ第3編「キリストと一致して生きる」に入ります。
第3編 キリストと一致して生きる
これまで私たちは、第1編「信仰宣言」と第2編「キリスト教の神秘を祝う」について学んできました。
信条は、神が創造とそのあがないと聖化によって、私たち人間に与えられた神の恵みの賜物のすばらしさを宣言するものでした。信仰宣言によって私たちが言い表していることは、キリストが教会に与えてくださった諸秘跡によって与えられます。以上が、第1編、第2編で見てきたことです。
この第3編で、キリストの福音にふさわしい生活を送るように召されている私たちが、キリストと一致して生きるには、どのようにすればよいのか、などについてご一緒に学んでまいりましょう。
キリスト・イエスは、つねに御父の喜ばれることを行い、御父と完全に一致して生きられました。キリスト者は、洗礼によって罪に死に、キリストに結ばれることによって、キリストと一体となり、キリストのいのちにあずかるものとなります。こうして、キリスト者は、神から愛される子どもとして神に倣い、思いと言葉と行いを、キリストを模範として歩むことができるのです。
キリスト者は、洗礼を受けることにより、神の霊を受け、私たちの体は、神の霊が住まわれる「聖霊の神殿」となりました。この霊は「御子の霊」です。この霊は、キリスト者に御父に祈ることを教え、私たちキリスト者のいのちとなって行動させ、愛の行いによって霊の実を結ばせてくださいます。聖霊は、罪の傷をいやし、私たちを新たにし、私たちを照らし、私たちが「光の子」として生きることができるように、私たちを強めてくださるのです。
キリストの道は「いのちへ通じる」道ですが、逆に、「滅びに通じる」道もあります。教会のカテケージスにおいて、福音書にある「二つの道」のたとえを繰り返し伝えてきました。このたとえは、私たちの選択によって、「いのちの道」か「死の道」か、という二つの道があることを教えています。
カテケージスでは、キリストが与えてくださる喜びと、その道が要求することを、はっきりと示すことが必要です。
キリストに結ばれた「新しいいのちのカテケージス」とは、次のようなものさしています。
–聖霊についてのカテケージス
聖霊は、私たちの心の内から、キリストに従う生き方を勧め、導き、強める優しい賓客 であり、友です。
–恵みについてのカテケージス
私たちは、恵みによって救われ、私たちの行いは、恵みによって、永遠のいのちに至る 実を結ぶことができます。
–真福八端についてのカテケージス
キリストの道は、真福八端に要約されます。それは、人の心が渇望する永遠の幸せへ至る唯一の道です。
–罪とゆるしについてのカテケージス
人間は自分が罪人であること、また、神のゆるしについて知らなければ、自分自身について、また神について知ることはできません。
–人間の諸徳についてのカテケージス
善を行おうとする正しい心構えの魅力と美しさを把握します。
–キリスト教的徳についてのカテケージス
これは、信仰・希望・愛について教えるもので、聖人たちの模範に心を開いて、それに 倣わせるものです。
–愛の二つのおきてについてのカテケージス
十戒は、この二つの愛について詳しく説明するものです。
–教会的カテケージス
キリスト教的ないのちは、「聖徒の交わり」における「霊的善」の交換において成長していきます。
このカテケージスの根本的なよりどころは、つねに、「道であり、真理であり、いのちである」(ヨハネ14.6)イエス・キリストご自身です。