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第135回 良心の判断
第6項 倫理的良心
私たち人間には、心の中に神から刻まれた法を持っています。この法は、良心の奥底にあり、私たちに、正しいことをするようにと勧め、悪を避けるようにささやきかけます。良心は人間の心の聖所であり、ここで、人間はただ一人、神と共にあり、神の声が人間の心の深みで響くのです。
1 良心の判断
私たちの心に存在する倫理的良心は、善を行い、悪を避けるように、必要に応じて、私たちに命じます。さらに、倫理的良心は、具体的にどのような選択をすべきかを判断するものでもあります。
神によって創造された私たち人間の心は、最高善である神に惹きつけられており、その掟を受け入れています。ですから、神を知らない人であっても、良心の声に耳を傾けることによって、神の声に従うことができるのです。
私たちは、倫理的良心によって、自分が行おうとしていることや、行ったことについて、倫理的善悪を見分けることができます。私たち人間は、正しいと判断したことに、忠実に従う義務があります。人間が神法の掟を認識できるのは、この良心の判断によるものです。
良心の声に聞き従うためには、私たちは、心を静め、自分自身に立ち戻る必要があります。この内省は、自己反省を忘れたり、究明することを忘れたりしないために、必要なことです。
私たち一人ひとりには、人間としての尊厳を持っていると言われますが、この尊厳は、実は、倫理的良心の正しさを前提としているのです。倫理的良心は、倫理の根本原理を把握し、さまざまな理由や価値を実践的に判断し、具体的行為について判断します。この現実の具体的状況の場においてなされる、良心の慎重な判断によってはじめて、倫理的善に関する真理がわかるのです。
私たちが行った行為の責任を担わせるのも良心です。ですから、私たちが人に悪いことをしたときには、その誤りを示し続け、許しを請う必要や、行うべき善などについて教えてくれるのです。
私たちは、倫理的決定をするときには、良心に基づいて、自由に行動する権利を持っています。ですから、誰でも、自分の良心に反して行動するように強制されることが、あってはならないのです。とくに、宗教の分野においては、自分の良心に従って行動することが妨げられてはなりません。