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第136回 良心の形成


  
2 良心の判断

神によって生まれながらに恵みとして与えられている私たちの良心は、私たちが身体的にも精神的にも成長していくように、良心もよく形成される必要があります。よく形成された良心は、正しく、誠実です。私たちは、このようなよい良心になるように、良心の教育をしていかなければなりません。これは、すべての人に必要な教育です。

良心を形成していく教育は、義務教育があって、それが終わると、後はそのままでよい、というようなものではありません。良心の教育は、私たちの一生の大切な務めです。

ですから、良心の教育は、幼いときからなされなければなりません。良心の教育によって、心の自由が保証され、心の平和が生み出されるのです。したがって、よく教育された良心は、徳がしつけられ、無意味な恐れや、利己主義、高慢や人間的弱さや過ちから生じる罪責感に基づく怒りや自己満足から守られ、いやされるのです。

この良心を形成していく上で、神の言葉が私たちの道を照らしてくれるともしびとなります。神の言葉を信仰と祈りをもって受け入れ、吸収し、実践していくことが大切です。

さらに、日々、折々になされる良心の究明も大切です。キリストの十字架の犠牲、愛に照らして、私たちの良心を調べるのです。初めのうちは、自分の良心の究明を難しいと感じるかもしれませんが、聖霊はいつも私たちを導いてくださいます。この聖霊に信頼し、さらに、教会の教えによって導かれるのです。

 
3 良心に従って選択する

私たちが何かを決めるとき、つねに何かを選び、選んだもの以外のものを捨てています。倫理的な判断をして選ばなければならない局面に立たされたとき、あなたはどうなさいますか?

時として、私たちは倫理的判断が不確かになったりします。しかし、いつも、正しいことを求め、神がどちらを望んでおられるかを識別して選ぶことが大切です。

このような場合、いくつかの選択基準があります。それをご紹介しましょう。
    1) よい結果を求めて悪を行うことは、決してゆるされない。
    2) 「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(マタイ7.12)と
      いう「黄金律」に従う。
    3) 愛徳は、つねに、隣人とその良心とを尊重することを前提とする。

これをしっかり覚えておいて、生かすようにしたらいいですね。

 
4 間違った判断

私たちは、いつも良心に従った判断をしなければなりません。しかし、その良心が無知であるために、間違った判断を下すこともあり得ます。

この良心が無知であることについては、しばしば、それは本人の責任によると言われています。それは、自分が真理や善の追求を怠ったり、その結果、罪を習慣的に犯すようになってしまうからです。

この原因は何でしょうか。キリストを知ろうとしないこと、福音を知らないこと、人々の悪い模範を見ること、情念のとりことなること、教会の教えや権威を拒否することなどが挙げられるでしょう。

私たちは、倫理的良心が間違いを犯さないように、つねに良心を正すように努めていかなければなりません。正しく清い良心は、信仰によって照らされます。神への愛と人への愛は、この正しい良心と信仰から生じるものです。

要約が付いています。ぜひ、ご覧ください。

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