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第137回 人間的徳
第7項 徳
聖パウロは、フィリピの信徒たちへ、徳について次のように書き送っています。「……徳や称賛に値することがあれば、それを心にとどめなさい」と。
徳とは何でしょうか。徳とは「善を行う堅固な習性」と定義されています。しかも、徳は、単によい行いをさせるだけではなく、最善を尽くさせるのです。
徳には、人間的徳と対神徳とがあります。まず、人間的徳から、ご説明いたしましょう。
1 人間的徳
人間的徳とは、知性と意志の堅固な習性、安定した傾き、習性的な完全さです。私たちは、この徳によって自分の行為をコントロールしたり、情熱を秩序づけたりしているのです。
人間的徳を備えている人は、容易に、倫理的に正しい生活を送ることができます。有徳の人は、神に似たものとなることを目指して生きている人ですから、善を自由に行う人とも言えるでしょう。
これらの徳は、人間の力で習得できるものです。この倫理徳は、倫理的に正しい行いをした実りであり、萌芽です。これは、人間のあらゆる能力を神の愛にあずかれるようにしてくれるものです。
枢要徳の区別
人間的徳の中でも、4つの徳が、特に「枢要徳」と呼ばれるのは、徳の中でも扇の要のような役割を果たす大切な徳なので、このように呼ばれているのです。
枢要徳は、賢明、正義、勇気、節制の4つがあります。他の徳は、この枢要徳の周囲を取り囲む位置にあるものだと理解されています。
今、この徳についてお話いたしましょう。
賢明
賢明は、諸徳の御者と呼ばれています。それは、基準と尺度を示しながら、他の諸徳を導くからです。
賢明とは、あらゆる状況のもとで、理性に真の善を識別させ、これを実現するための正しい手段を選ばせる徳です。賢明の徳は、良心の判断そのものを導くものですから、大切な徳と言えます。
正義
正義とは、神と隣人とに帰すべきものを帰すという一貫した堅固な意志によって成り立つ倫理徳です。その中でも、神に対する正義は「敬神徳」と呼ばれています。
人間に対しては、それぞれの人の権利を尊重させるものです。さらに、人間関係の中では、個人と共同善とに関する公平を促進する調和を定めさせるものです。
勇気
勇気とは、困難にあっても断固としてねばり強く、善を追求させる倫理徳です。この徳のおかげで、私たちは誘惑に抵抗することができますし、倫理生活上の障害を克服するために固い決心をすることができるのです。
勇気の徳は、死や試練、迫害などに耐えることができるようにしてくれる徳でもあります。
節制
節制とは、快楽の誘惑を抑え、この世の善をよく用いさせる倫理徳です。節制を保つ人は、自分の感覚的欲求を善に向かわせ、健全な控え目を守ることができますから、欲望のままに生きることがありません。
節制については、旧約聖書の中にも、新約聖書の中にも触れられていますが、特に新約聖書では、「節度」「慎み」と表現されています。
徳と神の恵み
以上のような人間的徳は、神の恵みによって浄化され、高められます。神の助けによって、性格を鍛え、よりたやすく善を実践できるようになります。
罪によって傷ついた人間には、倫理的正しさを保つことは、難しいのですが、キリストによる救いの恵みによって、徳を修めながら堅忍するために必要な恵みが与えられるのです。
ですから私たちには、常に、神に光と力を願い、秘跡に頼り、聖霊の働きに協力しながら、善を愛し、悪を避けるようにとの聖霊の呼びかけに従うことが求められているのです。