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第139回 対神徳–(2) 希望


前回は、信仰、希望、愛という3つの対神徳のうちで、信仰についてだけお話いたしました。今回は、希望の徳からお話いたしましょう。


希望

対神徳の一つである希望は、キリストが私たちにしてくださった、「天の国」と「永遠のいのち」に生きるという約束に信頼し、聖霊の恵みの助けに寄り頼みながら、天の国と永遠のいのちを待ち望ませる徳です。

神は、人間を創造されたとき、ご自分が味わっておられる幸せを、人間にも分かち合いたいと思われ、その心を人間にお与えになりましたが、このように、すべての人の心に神がともしてくださった幸福へのあこがれに応えるものが、希望の徳です。

私たちは、身近なことから大きなことまで、いろいろのことに希望をもって生きていますが、この希望の徳は、それらのすべての希望を集め、清め、天の国へと方向付け、失望することから守り、幸せへと導いてくれるものです。

キリスト者の希望の起源と原型は旧約聖書に書かれている「信仰の父」と呼ばれるアブラハムにさかのぼります。かれは、神の言葉を聞き、希望するすべもないときにも神を信じたのでした。

新約時代に入り、イエス・キリストは、希望の徳について、マタイ福音書の「山上の説教」で、「天の国」に招き入れられる人はどのような人かを語られました。

私たちは、そのような天の国を目指して、試練のときも、苦しみのときも、喜びのときも、つねに、私たちに道を示され、先に天の国に入られたイエスに信頼し、イエスに助けられながらイエスのもとへの道を歩み続けているのです。

希望はまた、この世での戦いのときの「武器」とも言えるものです。さらに、試練のときには、この希望は喜びともなっていきます。私たちの希望は、祈り、特に「主の祈り」の中に表現されており、これらの祈りを日々捧げる中で希望の徳は育まれ、育っていくのです。

神を愛し、神のみ旨を行う人びとに、神は、天の国の栄光を約束してくださいました。神の恵みに支えられながら、だれもが、最後まで耐え忍び、永遠の報いである天の国の喜びに入ることができるということを、キリストを信じている私たちは確信しています。

カトリック教会は、希望をもって、すべての人が救われるように祈り、天の栄光のうちに花婿であるキリストに迎え入れられることを切望しているのです。

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