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第148回 人間の召命の共同体的性格


第2章  人間共同体

どんな人間も持っている召命--神から与えられた使命は、他の人々に神の似姿として造られたことを示し、徐々に、神のひとり子であるイエス・キリストに似た者となることです。

この使命は、各個人が達成しなければならないものですが、同時に、これは、全人類に与えられている使命なのです。その意味で、この召命は個人的であり、共同体的でもあります。


第1項 個人と社会

1 人間の召命の共同体的性格

すべての人が共通して持っている目的があります。さあ、何だと思いますか。それは、三位一体の神である父と子と聖霊の間にある一致と愛の交わりを生きるように招かれており、私たち人間がそれを目指して生きるということです。

私たちがこの世で、三位の神の一致と愛を生きるということは、人間同士が兄弟姉妹として、生きることを指しています。この意味で、隣人愛は神への愛と切り離すことができないものです。

私たち人間が、お互いに協力し合って生きていくとき、当然、社会生活が生まれます。ですから、社会生活は、人間の本性から要求されているものなのです。

他の人と知り合い、互いに話し合ったり、協力し合ったりすることによって、生きがいを感じたり、いろいろな能力を発揮させていきます。これが、自分の召命に応えて生きることです。

では、私たちが生きている社会とは何でしょうか。「社会とは、個々の人間よりも優先される一致の原理によって有機的に結ばれた人間の集合体です」と、本書1880項で定義づけています。

社会は、目に見えるものであり、同時に精神的な集団です。社会は、時の中で存在し、続いていくものです。ですから、現代社会に生きている私たちは、過去を受け継いで、未来を準備しているのです。

社会から過去の富を「相続人」として受け取り、同時に自分が自分として開花するためにいただいている「タラントン」を受けています。一人ひとりは、これらの富を実らせるという務めを持っているのです。

私たち一人ひとりには、それぞれが属している共同体があります、その共同体で役立つものであり、その共同体全体のために働く指導者たちを、尊敬する義務もあります。

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