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第149回 補助性の原理 –(1)
人間は誰でも、必ず、共同体に属していますが、それぞれの共同体は、目的を持っており、その目的によって性格づけられ、その目的遂行のために規則を作るようになります。このようにして、社会制度が作られていくのですが、その社会制度の起源、主体、目的は、人間であり、人間になければなりません。
人間にとって、どうしても必要な共同体があります。それは、家族や国家です。これは、直接、人間の本性に対応するものだからです。
できるだけ多くの人々が、いろいろな共同体に参加して、生き生きと生活することは望ましいことです。そのためには、文化、社会、経済、スポーツ、レクリエーション、職業、政治など、いろいろな目的を持つ団体や組織を作ることが望ましく、そのために、このような共同体作りは奨励されているのです。
以上のような共同体作りは「社会化」とも呼ばれるものですが、このような団体、組織は、一人ひとりが実現しようと思ってもその人の能力の限界がありますが、構成メンバーを目標達成のために一致団結させるということが自然に起こってきます。この「社会化」は、個人の資質を伸ばしますが、とくに主導性や責任感を培い、権利の保証を助けるものとなります。
しかし、社会化には危険性も伴います。例えば、国家の干渉が強すぎるとき、個人の自由と主体性は妨げられてしまいます。このような危険性を避けるために、カトリック教会は「補助性の原理」という教えを打ち出しました。この原理に従えば、たえず共通善の観点から判断し、必要なときには上位の共同体は下位の共同体を支え、相互の活動を調整するようにし、援助するということになり、危険は避けられます。
この「補助性の原理」のモデルは神にあります。神は、すべての権限をご自分だけが持っていることは考えられませんでした。それぞれの被造物に、本姓の能力に応じて役目をお与えになっておられます。社会生活を送る上で、私たち人間は、この統治様式を見習わなければなりません。
神が世界を統治なさっておられる方法は、人間の自由を大いに尊重してくださる統治です。ですから、共同体の統治者は、ここから学び、神の摂理の奉仕者として行動すべきなのです。
「補助性の原理」は、あらゆる形の集産主義に反するものです。ですから、国家の干渉についても限界を設けています。この原理は、個人と社会の間の関係の調和を目指しているもので、真の国際的秩序を打ち建てることを意図したものです。