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第155回 共通善 –(2)
今回は「共通善」についての続きです。
各共同体には、それぞれ認められた共通善があります。その共同体のメンバーは、その共同体の共通善を実現するように努めています。しかし、共通善を完全に実現するのは、政治共同体です。ですから、私たちの属している社会、また私たち住民、その他いろいろ存在している共同体の共通善を守り、促進させる義務は、国家にあります。
しかし、一国の政府が、その国の共通善を擁護し、促進するだけでは足りません。
「普遍的共通善」と呼ばれるものがあります。私たちの歴史を振り返ってみても分かるように、日本が独立国と言っていても、日本だけで成り立っているものではありません。いろいろな国に依存し、また多の国も、日本に依存して成り立っています。この相互依存の度合いは、年々強まっていますし、世界全体へと広がっています。
私たち一人ひとりは、平等な人間として造られています。人間の尊厳を持つ私たちは、一つの人類家族を形づくっているのです。ですから、一つの国、一つの地域にしばられることなく、普遍的な共通善があることを認めなければなりません。
各共同体の共通善を実現する役割を持っているのは、国家だということを申しましたが、この普遍的共通善を擁護し、促進していくためには、国際的な組織が必要となってきます。
国際的組織は、人々のいろいろな必要--たとえば、食料、健康、教育など、さらに、難民救済、移住者とその家族を援助することなどに応じることが必要です。
共通善は、常に、個人の向上を目指すものです。人間の秩序は、真理を土台とし、正義の上に立てられ、愛によって生かされるものです。この人間の秩序に、事物の秩序が従属するのです。この逆があってはなりません。常に人が中心となるべきものなのです。