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第156回 責任と参与
3 責任と参与
参与とは何でしょうか。役職名で、聞いたことがある、とおっしゃる方がおられるかもしれませんが、ここでの「参与」は、わたしたち個人が、進んで社会的な交流にかかわることを指しています。
すべての人は、それぞれの置かれた立場で、役割に応じて、共通善に参与する必要があるのです。この任務は、人間の尊厳に由来する根本的なものです。
参与するとは、まず第一に、個人的な責任を持っている分野、つまり、自分の家族が教育を受けられるように配慮し、自分の仕事を良心的に果たし、他の人々や社会の善に貢献することを意味しています。
次に、国民として参与すべきことがあります。それぞれの属している国や文化によって、違いはありますが、公共の生活において、積極的な役割を果たすことです。
共通善のための活動に参与する場合、社会的協働者たちの、絶え間ない回心が必要です。法や社会的義務から逃れようと、不正な行いや、ごまかしをすることは、断固非難されるべきです。なぜならば、これらの行為は、正義の要求に反することだからです。
さらに、人々の生活条件を改善する制度が促進するように、配慮すべきです。
あらゆる権威を持っている人々は、その集団に属している人々から信頼されるように努力するとともに、人々がお互いに奉仕し合うような雰囲気を作らなければなりません。
参与は、教育や生活習慣から始まります。人類の未来は、生きる理由、希望を持つ理由を、明日の世代を担う人々に提供できる人々の手中にあると考えることができる、と『現代世界憲章』は述べています。
最後に「要約」が付けられています。ここを読むのを忘れないでくださいね。