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第166回 新しい法、または福音の法 –(3)
4 新しい法、または福音の法 –(3)
前回に続いて、「新しい法、福音の法」についてのお話です。
福音の法には、主に、2つのことが含まれています。その1つは、「2つの道」のどちらかを決定的に選択すること、第2は、キリストのことばを実践すること、です。
その内容は、キリストが話されたおことばのうちで、最も大切であるという意味をこめて、「黄金律」と言われていることばにまとめることができます。これは、前回お話した、マタイ福音書の山上の説教の中で、イエスがおっしゃっていることばです。「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」(マタイ7.12)。
しかし、福音の法全体は、イエスの新しいおきてに、含まれています。それは、イエスが、「わたしたちを愛されたように、互いに愛し合う」というおきてです。
イエスの死後、イエスの復活、昇天、そして、聖霊降臨を体験した使徒たちは、キリストが教えてくださった教えを人々に教える際に、道徳的な教理を付け加えました。この使徒たちの教えの道徳的なカテケージスは、パウロの書簡の中に見られます。
皆様もよくご存じの、有名なパウロの「ローマの信徒への手紙」には、次のように、キリストの教えを使徒たちの権威をもって伝えています。「愛には偽りがあってはなりません。……兄弟愛をもって互いに愛し、……希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい」(ローマ12.9-13)。
このカテケージスは、良心の問題をキリストとの関係、および教会との関係に照らして取り扱うことをわたしたちに教えるものです。
新しい法は、いろいろなことばで呼ばれています。
「愛の法」––聖霊が注いでくださる愛によって行動するからです。
「恵みの法」––信仰と秘跡に基づいて行動するための恵みの力を授けるからです。
「自由の法」––愛に動かされて自発的に行動させ、次第に、わたしたちを神の子の状態に移行させてくださるからです。
新しい法には、おきてだけではなく、福音的勧告も含まれています。
神のおきてと福音的勧告を区別するものは、愛に関する問題です。
おきて––愛と両立できないものを退けることを目指しています。
福音的勧告––愛の成長を妨げうるものを退けることを目的としています。
福音的勧告は、飽くことなく自分を与え続けようとする、愛の生き生きした極地を示しています。
新しい法の完成は、神と隣人への愛のおきてのうちで完成されるものなので、福音的勧告は、この愛の高みへ導く直接的な道、より容易な道を示しています。ですから、わたしたち一人一人は、自分の召命に従って実践すべきものなのです。
最後に「要約」があります。このページも大切にしましょう。