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カテキズムを読もう
第167回 義化 –(1)
第2項 恵みと義化
1 義化 –(1)
「義化」という言葉は、あまり聞き慣れない言葉かもしれません。「義認」という言葉が使われることもありますが、同じことを指しています。ここでは、「義化」という言葉を使うことにいたしましょう。その理由は、長年、カトリック教会では、この言葉を使ってきましたので、皆様がなじんでおられると思ったからです。
洗礼によって、わたしたちは聖霊の恵みが与えられますが、この聖霊の恵みによって、わたしたちは罪から洗い清められ、義とされました。
わたしたちは、聖霊の力によってキリストの受難にあずかり、罪に対しては死んだ者となり、新しいいのちに生まれ、キリストの復活にあずかっています。わたしたちは、キリストを頭とするキリストの体を構成しています。つまり、わたしたちは、キリストのからだの部分なのです。
ヨハネ福音書の15章に、ぶどうの木のたとえ話があるように、ぶどうの木はキリスト、わたしたちはその枝です。枝がキリストという幹にしっかりつながっている限り、キリストから樹液をもらい、実を結ぶことができるのです。
聖霊の第一の働きは、回心です。これによって、わたしたちは義化されます。イエスの公生活での第一声は、わたしたちに回心を呼びかけるものでした。「悔い改めなさい、天の国は近づいた」(マタイ4.17参照)。
わたしたちは、この聖霊の恵みを受け、神に向きを変え、罪から離れて、ゆるしと義の恵みを神様からいただきます。ですから「義化」とは、単に罪がゆるされるだけではなく、内的に聖化され、まったく一新されることです。