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第168回 義化–(2)


1 義化–(2)

今回は、義化についての2回目です。ご一緒に義化について考えましょう。

ここでは、「義化とはなんでしょうか」という問いに答えている箇所だと考えれば、理解しやすくなるでしょう。

義化とは、神の愛に背く罪から人間を引き離し、その心を清めることです。聖パウロは、自分がまだ罪人だったとき、神様のほうが自分を愛し、迫害者だった自分をゆるしてくださった、と言っていますが、神は、ご自分の方から進んでゆるしを与えてくださるのです。それは、神様が憐れみ深い方だからです。その結果、人は神と和解することができるのです。

さらに、義化とは、イエス・キリストへの信仰によって、神の義を受け入れることでもあります。義化とともに、信仰、希望、愛が、私たちの心に注がれ、私たちはこれによって、神のみ旨に従うようになるのです。

義化とは、キリストの受難を通して、私たちに与えられる功徳です。義化の恵みは、私たちが洗礼を受けた時に与えられます。その恵みによって、神があわれみの力を注いでくださることによって、神は、私たちを内面から正しい者に変えてくださるのです。

義化は、神の恵みと人間の自由との間の協力関係を確立させます。人間の側からの協力とは、何を指しているのでしょうか。洗礼を受ける決心をしたとき、私たちは、回心を勧めてくださる神の促しに、「はい、信じます。これから、あなたに従ってまいります」と自由に答え、洗礼を受けました。これは、大きな神への協力です。

義化は、イエス・キリストにおいて表され、聖霊によって与えられる、神の愛のもっとも卓越したわざです。聖アウグスチヌスは、悪人が義とされるということは、「天地創造よりも偉大な」わざだと考えています。それは、「天地は過ぎ去っても、選ばれた人々の救いと義化は永続するから」です。

「人間の内なる教師」と呼ばれる聖霊は、その人の内に働いて、その人全体を聖化させてくださるのです。

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