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第169回 恵み –(1)


2 恵み –(1)

これまで2回にわたり見てきた義化は、まったく神様の恵みによるものです。恵みとは、神がわたしたち一人ひとりを愛し、無償でくださっている助けです。これを、寵愛、無償の援助とテキストでは呼んでいます。

なぜ、神がこのようにわたしたちを愛してくださり、助けてくださるのでしょうか。それは、わたしたちを神の子としてくださり、ご自分の永遠のいのちに招き入れてくださるためなのです。

神がこの恵みをくださることによって、わたしたちは神のいのちにあずかるものとされ、三位一体の愛の交わりに入れていただけるのです。

わたしたちキリスト者は、洗礼によって、神秘体の頭であるイエス・キリストの恵みをいただきます。洗礼によって、わたしたちは神の「養子」とされ、ひとり子イエスと結ばれ、神を「父」と呼ぶことができるようにされたのです。こうして、霊のいのちを受け、霊はそのいのちに愛を吹き込み、教会を形作っていくのです。

このように永遠のいのちにわたしたちを招かれるという恵みは、召命とも呼ぶことができる超自然的なものです。つまり、神が、まったく無償でわたしたちに与えてくださる恵みということです。それは、神だけが、ご自分を人間であるわたしたちに啓示し、ご自分をわたしたちに与えることがおできになる方だからです。ですから、この召命は、わたしたち人間の知性や意志の力を超えているというだけではなく、すべての被造物の知性や意志の力を超えたものなのです。

キリストの恵みは、神がわたしたちに与えてくださる無償のたまものであり、わたしたちの霊魂を罪からいやし、聖化するために、聖霊によって注がれた神のいのちです。成聖の恩恵と言われ、神化の恩恵とも呼ばれる恵みを、わたしたちは洗礼のときにいただきますが、これが、わたしたちの内で聖化の働きの泉となるものなのです。

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