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第171回 恵み –(3)
2 恵み –(3)
神がわたしたちにくださる恵みは、あまりにも豊かなので、説明も3回目になりました。
恵みは、何よりも聖霊のたまものです。聖霊はわたしたちを義化し、聖化してくださいます。しかし、恵みは、それだけに留まりません。もっと、豊かなものです。
わたしたちが聖霊の働きに参与して、他の人々の救いのために協力することや、キリストの体である教会の成長のために協力する数々の働きは、恵みをいただいているからこそできることなのです。
さらに、秘跡的恩恵と呼ばれる恵みもあります。これは、それぞれの秘跡にあずかるときに与えられる固有のたまものをさしています。
たとえば、洗礼の秘跡によって与えられる恵みは、それまでのすべての罪を清めてくださるという恵みとともに、わたしたちを「新しい被造物」、「神の本性にあずかるもの」としてくださいました。これは、以前お話した、各秘跡についての項目をもう一度ご覧になると、よくおわかりいただけると思います。
また、カリスマと呼ばれている特別な恵みもあります。「カリスマ」という言葉は、使徒聖パウロが用いたギリシア語で、もともと「特別な好意」「無償のたまもの」「寵愛」を意味する言葉です。「カリスマ」は、とき奇跡をおこない、異語を語るような形で現れたりすることもありますが、それがどのようなものであろうとも、成聖の恩恵のためにあり、教会の共通善を目指し、教会を築いていく愛を助けるものです。
そのほか、特別な恵みとして、「身分上の恵み」を挙げることができます。これは、キリスト教的生活の責務や教会内の役務を遂行していく上で神が与えてくださる恵みです。
このように「恵み」についてご説明してきましたが、「恵み」は超自然的なものなので、わたしたちの経験的知識では把握できず、信仰によってしか知ることができないものです。
ですから、自分は救われている、などと軽はずみの判断はできません。ただ、わたしたちは、キリストがおっしゃった「あなたがたはその実で彼らを見分ける」という言葉に基づいて、自分たちの生活に見られる神のたまものを考えるとき、恵みが確かにわたしたちの内に働いて信仰が深められ、信頼と謙虚さをもって神に近づいているという確信をもつことができるのです。