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第173回 いさおし(功徳) –(2)
3 いさおし(功徳) –(2)
「いさおし(功徳)」の続きをお話しいたします。
わたしたちキリスト者は、洗礼を受けることにより、神の子としていただきました。正確に言うと神の養子としていただいたのです。これによって、わたしたちは神の本性にあずかるものとされました。
ですから、神の無償の正義に基づいて、わたしたちの「いさおし」が、「真のいさおし」にしていただけるのです。そこから、恵みによる権利、愛のまったき権利が生じ、わたしたちはキリストの「共同相続人」、永遠のいのちの約束された遺産を得るためのふさわしい者としていただけるのです。
前回お話したように、まず聖霊と愛の働きに動かされた後で、わたしたちは、自分のため、人のために、聖性、恵みや愛の成長、永遠のいのちを得るために役立ついさおしを立てることができるのです。言葉を変えて言えば、最初の恵みを得るに値する人物などだれ一人いないのです。
わたしたちのすべてのいさおしの源となっているのは、わたしたちに対するキリストの愛です。
聖人たちの生涯などを読んでみると、彼らは、いつも、自分たちの「いさおし」が、すべて神からの恵みによるものだということを、強く自覚していました。神から注がれた恵みによって、わたしたちは、能動的愛でキリストに結びつけられ、わたしたちの行為が超自然的なものにされ、そのおかげで、わたしたちの行為が、神のみ前で「いさおし」あるものとしていただけるのです。
今回で「いさおし」のお話は終わります。次回は、キリスト教的聖性についてお話しいたしましよう。