home>キリスト教入門>カテキズムを読もう>第3編 キリストと一致して生きる>第1部>第177回 倫理生活と教会教導権 –(1)

カテキズムを読もう

バックナンバー

第177回 倫理生活と教会教導権 –(1)



第3項 母であり養育者である教会


1 倫理生活と教会教導権 –(1) 

聖パウロは「真理の柱であり土台である」教会、と言っています。この教会は、使徒たちから、「救いの真理を告げる」権利を受け継ぎました。

ですから教会は、その創立された聖霊降臨の日から今に至るまで、社会秩序に関することも含めて、倫理の原則を、いつでも、どこにおいても、告げ知らせているのです。

さらにまた教会は、人間の基本的権利について判断する権限をもっているのです。それだけではなく、救いに必要な限り、あらゆる人間の問題について、判断をする権限をもっているのです。

倫理的なことがらに関して、教会の司牧者たちの教導権は、どんなときに行使されるのでしょうか。通常は、神学者や霊性の専門家たち、また、彼らの書いた書物の助けを借りて、カテケージスや説教の中で行使されます。

こうして、私たちは、司牧者たちの庇護と警戒のもとに、教会の歴史をとおして分かるように、代々にわたってキリスト教的倫理の「ゆだねられた遺産」が、伝えられてきました。

どんな遺産が私たちに、今日、伝えられてきているのでしょうか。この遺産とは、伝統的に、信仰を伝える信条や、主が教えてくださった「主の祈り」、十戒を土台としたものです。この中で十戒は特に、キリストを信じているかどうかにかかわらず、すべての人間にとって大切な倫理生活の基本を明らかに示したものです。

信条、主の祈り、十戒は、キリストへの信仰によって明らかにされ、愛によって生かされた規則やおきてや徳などの特徴的な要点をまとめたものと言うことができます。

教会の教導権をもつ人々の中でも、キリストの後継者として、神の民をゆだねられたローマ教皇および司教たちは、「真正なる師、キリストの権威を帯びている師」と呼ばれています。彼らは、生活の中に生かすべき信仰を、自分にゆだねられた民である私たちに、宣教するのです。

教皇と、教皇と一致した司教たちの通常の教導権は、信ずべき真理、実践すべき愛、希望すべき至福とを、自分にゆだねられた神の民である私たちに教えるのです。

前へ 

▲ページのトップへ