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第178回 倫理生活と教会教導権 –(2)
1 倫理生活と教会教導権 –(2)
前回に引き続き、倫理生活と教会の教導権についてお話いたしましょう。
教会の司牧者たちの教導権は、キリストの権威によって行使されるのですが、そのことがもっともはっきりと私たちに分かるのは、彼らが持っている不謬性のカリスマによって教えられるときです。
この「不謬性」は、どの範囲にまで及ぶものなのでしょうか。その広がりは、「神の啓示の遺産の広がりと、同じ広がり」をもっています。ですから、どんなに「不謬性」の範囲が幅広いものか分かります。一口で説明すると、倫理に関するすべての教義、信仰に関する教義のあらゆる事柄に及ぶもの、といえます。
また、教会の教導権は、自然法のおきてにも及ぶものです。
なぜ、自然法にまで及ぶのでしょうか。それは、
①創造主である神が、私たちに求められているからです。
②自然法のおきては、人間である私たちの救いに必要としているからです。
つまり、教会の教導権は、私たち人間に、自然法のおきてを思い起こさせながら、教会の預言職の本質的な役割の一部を行使するものだからです。
預言職の本質的な役割とは、具体的には何を指しているのでしょうか。
①人間とは、真に何であるのかを告げ知らせているからです。
②私たち人間が、神のみ前で、どうあるべきかを考えさせるからです。
今までは、教会の責務としての教導権の行使についてお話しいたしましたが、私たち信者にとっては、どんな権利と義務が生ずるものなのでしょうか。
教会に委ねられた神の法は、いのちと真理の道として、私たち信者に授けられました。
したがって、私たち信者には、以下の権利があります。
①正しい判断をするように努め、
②傷ついた私たちの理性を恵みの助けでいやし、
③神の救いのおきてに関する教えを受けるという権利があるのです。
権利があれば、義務もあるのは当然のことです。ですから、私たち信者には、教会の合法的権威が定めた法令と決定とを守る義務があるのです。たとえそれが、生活規律に関する法令であったとしても、愛をもって、素直に従うことが求められるのです。