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第184回 聖書に記されている十戒 –(1)
わたしたちは「十戒」について考えるとき、「十戒」ということばで、話したり考えたりしていますが、聖書は「十戒」とは言っていっていません。では、何と表現しているのでしょうか。「十のことば」です。
神は、この「十のことば」をシナイ山という聖なる山で、ご自分の民であるイスラエルに掲示されました。神は、これを、ご自分の指で書かれたと申命記はわたしたちに伝えています。申命記9・10-17をぜひご覧ください。
この「十のことば」は、旧約時代から聖書の中で大切にされていますが、その完全な意味は、イエス・キリストがわたしたちに与えてくださった「新しい契約」において、明らかにされているのです。
十戒は、イスラエルの民がエジプトから脱出するという出来事を背景に理解しなければなりません。この出エジプトという出来事は、神による偉大な解放の出来事なのです。これらの「十のことば」は、罪の奴隷状態から解放された生活の諸条件を示しているものです。その意味で、十戒は「いのちの道」とも呼べるものです。
十戒の解放の力は、安息日のおきての中によく表れています。6日間働いて、7日目は休むのですが、これは「7日目には、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」とその理由が述べられています。主が天地創造で6日間働かれ、7日目に休まれたことからこのように言われているのです。
ただ、それだけではありません。「あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、……寄留者する人々も同様である」と言われています。つまり、自分たちだけでなく、奴隷も、寄留者にも、その安息日を与えるように、言われています。それは、かつてエジプトで奴隷状態であったイスラエルの民が、神から解放されたことを記憶するためなのです。