home>キリスト教入門>カテキズムを読もう>第3編 キリストと一致して生きる>第2>第195回 ただ主に仕えよ–祈り
カテキズムを読もう
第195回 ただ主に仕えよ–祈り
◆ 祈り前回は、敬神徳の第1にあげられる礼拝についてお話いたしましたが、今回は、祈りについてです。
前にもうしましたように、信仰・希望・愛は、祈りと密接な関連があります。 わたしたちは、祈るとき、心を神にあげ、賛美や感謝、執り成しの祈りや懇願の祈りをささげることによって、神への礼拝を表しているのです。
神がわたしたちのために与えてくださった掟を、いつも守ろうという心が、わたしたちにはあります。そのために、祈りは絶対に必要なものです。ときに、忍耐力を失いそうなわたしたちに、イエスは、「気を落とさずにたえず祈らなければならない」と教え、力づけてくださっています。
◆ いけにえ「いけにえ」というと、旧約時代の動物のささげもののようなことを、すぐに思い浮かべるかもしれませんが、ここでいう「いけにえ」は、そんなものではありません。
詩編には、「神の求めるいけにえは、打ち砕かれた霊」といわれているように、わたしたちが、礼拝、感謝、嘆願の祈りなどをもって神と聖なる交わりを保ち、神と堅く結ばれるためにするあらゆる行いこそが真のいけにえです。そのような「いけにえ」は、私たちを真に幸福にしてくださるお方、究極の善であるお方につながっているのです。
この世にある、唯一の完全な「いけにえ」は、御父への愛のため、わたしたち一人ひとりを救うために、イエスが十字架上でご自分のいのちを、あますことなくささげられた、あの「いけにえ」です。
わたしたちは、このキリストのいけにえに結ばれることによって、自分たちのいのちを、神へのいけにえとすることができるのです。