お薦めシネマ
ダイオキシンの夏
2001年8月
いのちの地球
- 監督:出崎 哲
- 原作:蓮見けい 『ダイオキシンの降った街』より(岩崎書店・刊)
- 声の出演:佐久間信子、倍賞千恵子(特別出演)
2001年 日本映画
「庭でゴミを焼くと、ダイオキシンが出るからやめてくださいとご近所からの苦情が来るので、焼くことができなくなったんですよ。」ダイオキシンという言葉は、私たちの生活の中にすっかり定着し、お互いに気をつけるようになりました。しかし、もし、農薬を作る工場などの事故によって発生したら、その汚染から逃れることはできないでしょう。この長編アニメーション映画「ダイオキシンの夏」は、1976年7月11日、イタリアのミラノの北部にあるメダの小さな街セベツで実際に起きた汚染事故がモデルになっています。
ダイオキシンは、なぜ、そんなに恐ろしいのでしょうか。
1960年代、ベトナム戦争でアメリカ軍が使用した枯葉剤(除草剤)にダイオキシンが混入され、散布された地域で奇形児が多発したことから、世界中に脅威を与えました。ダイオキシンはポリ塩化ジベンゾ-パラ-ジオキシンという塩化化合物の総称です。
ダイオキシンの中で最も毒性の強いものの急性致死毒性は、青酸カリの約1,000倍と言われています。しかし、低い濃度でも、長期間摂取することによって慢性の毒性が生じます。慢性毒性は、発癌性、催奇形成、生殖障害、免疫力の低下、皮膚や内臓障害など、さまざまな影響を及ぼします。ダイオキシンは、水に溶けにくいのですが脂肪にはよく溶け、人間の体に入ると脂肪にたまり、排泄されて半分の量になるまで(半減期)2年~6年かかります。また、酸、アルカリには安定しているので、土壌の中での微生物による分解がほとんどおこらず、土の中のダイオキシンの半減期は10年~12年と言われています。塩化ビニールなどのプラスティックや塩素漂白した紙類を約400℃で燃焼させると、約210種類あるダイオキシン類のすべてが発生し、低い温度での焼却で不完全燃焼を起こすと、さらに発生しやすくなります。
物語
北イタリアの街セベソという街に住む少女ジュリアは、走ることが大好き。放課後は、仲良しのルチア、エンリコ、アンジェロ、マリアと一緒に、陸上クラブでタイムを競う毎日でした。
1976年7月10日、ジュリアの11歳のお誕生日の日。ジュリアの家の庭には友達や家族が集まっていました。ジュリアの姉アンナも夫とともに来ていて、赤ちゃんができたことを報告し、喜びは二重になりました。乾杯をしようとした、そのとき、地響きの大音響とともに、北の空に巨大な雲があがったのです。その煙は、風に乗ってセベソの街を覆い、みるみるうちにジュリアたちのいる庭に、白い微粒子を雨のように降らせました。微粒子は降り積もり、あたりは真っ白になってしまいした。
煙は、セベソの北2キロにある化学工場の爆発事故によるものでした。刺激臭があり、あわてて家の中に逃げましたが、白い物が降り止んだ後、ジュリアたちはおそるおそる庭へ出てみました。翌日、白い物は消えていましたが、病院には、頭痛と目に痛みを訴える幼い子どもたちでいっぱいでした。数人の子どもの顔には、赤い発疹ができていました。
「いったいこれは何だろう。白い粉のせいかしら。」人々の間に不安がひろがります。爆発を起こした工場側の検査で有害なものだとわかったのですが、目の痛みや頭痛は一時的なものであるとの工場の重役たちの知らせから、また、不十分な情報提供は、かえって市民をパニックに陥らせるのではないかと判断し、市長は「大きな心配はありません」と報道しました。
しかし、鳥や犬など、動物たちが死んでいくようになりました。市長の息子エンリコは、疑問を感じ、ジュリアたちと一緒に工場に忍びこみ、いったい何が起こったのか調べることにしました。実は工場で働いている人たちにも、詳しい知らせはなく、工員たちは不思議に思っているところでした。「何か重大なことが隠されている。知らされるのを待つのではなく、自分たちで調べよう。」ジュリアの提案で、セベソ少年探偵団が生まれました。
そんなとき、日本の新聞社の特派員安藤が事故の取材にやってきました。ジュリアたちは、安藤から、工場の爆発で流出したものは、ベトナム戦争で米軍が使用した枯葉剤の原料と同じだったという、恐ろしい事実を聞きます。そして、セベソの街が大量のダイオキシンに汚染されていることを隠し続けている化学工場の親会社を糾弾するため、安藤とエンリコはスイスへ向かうことになりました。
一方、セベソの街は汚染度によって分けられ、最も汚染のひどいA地区は立ち入り禁止になりました。ジュリアの家はA地区だったので、この地区から避難しなくてはなりません。不便なホテル生活が始まります。ジュリアの姉のアンナは、出産するかどうか迷っていました。また、マリアは顔に発疹ができて、誰にも会おうとしなくなりました。
私たちは、家族は、友達は、いったいどうなるのだろうか……? なぜ、工場は避難するように、住民にすぐ発表しなかったのだろうか? セベソの街に、また戻ってこれるのだろうか……? 親会社の記者会見の席で、ジュリアたちの不安と怒りは爆発しました。
化学工場の爆発事故の背景には、親会社のずさんなやり方があり、また周囲への通報が遅れたばかりに、たくさんの市民が大量のダイオキシンをあびてしまいました。映画を見ながら、東海村の放射能漏れ事件を思い出しました。きわめて危険なものを取り扱っているにもかかわらず、日頃の緊張感を失った管理からくる爆発は人災ですが、その後の市民への通報がすぐされなかったことも人災でしょう。工場がその安全性を守り、私たち市民も正しい知識を身につけて、それぞれの場で注意しないと、この大切な地球と一人ひとりの健康は守れないのです。