お薦めシネマ
カンダハール
2002年2月
KANDAHAR(フランス 原題)
- SAFAR E GANDEHAR(イラン原題:カンダハールへの道)
- 監督・脚本・編集:モフセン・マフマルバフ
- 音楽:モハマド・レザ・ダルビシ
- 出演:ニルファー・パズィラ、ハッサン・タンタイ、サドュー・ティモリー
2001年 イラン・フランス合作映画 85分
- 2001年カンヌ国際映画祭エキュメニック賞(国際キリスト教会審査員賞)
- 2001年ユネスコ<フェデリコ・フェリーニ>メダル
- ナショナル・ボード・オブ・レビュー「表現の自由賞」
- テサノニキ国際映画祭国際批評家連盟賞
- 米タイム誌・2001年ベストワン
- 日本国連HCR協会(国連難民高等弁務官事務所日本委員会)推薦
- 第2回東京フィルメックス TOKYO FILMeX 2001 特別招待作品
話題になっている映画「カンダハール」です。
◆実話にもとづいたフィクションアフガニスタンのカブールで生まれたニルファー・パズィラは、ソ連の進攻のときにできた共産主義政権から迫害を受け、パキスタンに出国しカナダに渡りました。カナダの大学でジャーナリズムを学び、現在、女性の人権問題を中心に、ジャーナリストとして活躍しています。
1998年、ニルファーは、カブールに住む友人から手紙を受け取りました。タリバン政権のあまりにも過酷な状況に対し自殺したいというのです。ニルファーは友人を救うため故国に戻る決意をします。しかし、タリバン政権は女性のジャーナリストの入国に対して厳しく、なかなかビザが出ませんでした。
そこで彼女は、世界の人にアフガニスタンの女性の現状を紹介してほしいと、フマルバフ監督を訪ねます。 監督は入国の可能性を探り、ドキュメンタリーとしての撮影は危険だと判断して、フィクションとして映画化することにしました。こうして「カンダハール」が製作されたのです。
カンヌ映画祭で映画が公開された後、ニルファーは次期ユネスコ文化大使に任命され、映画のプロモーションとユネスコの活動のために世界中を回っています。
◆「神にさえ見放されたアフガニスタン」マフマルバフ監督は、ユネスコ <フェデリコ・フェリーニ> メダルをいただいたときの記念スピーチで、「神にさえ見放されたアフガニスタン」と語っています。アフガニスタンは、世界のどの国よりも悲惨な状態にあったのに、昨年の9月11日まで、世界から忘れられた存在でした。
ニルファーからの協力を頼まれた監督は、アフガニスタンについて詳しく調査、研究し、「アフガニスタンは国際社会から忘れられている。世界の人々にアフガニスタンを知らせたい」という思いを強くしました。
主人公をニルファー自身が演じているのをはじめ、俳優はいっさい出演していません。難民キャンプのパシュトゥン人とハザラ人、赤十字のキャンプのポラーンド人、イラン人の女性(ブルカをかぶったアフガニスタンの女性は、カメラの前にでることを拒んだのでイラン女性に演じてもらった)など、現地の人々が出演しています。つまり、映像に出てくる場面は、現実のアフガニスタンのそのものなのです。
* * * * *たくさんの印象的な場面があります。その中から……。
◆砂漠の道「20世紀の最後の皆既日食の日に自殺する」という妹からの手紙を受け取ったナファス(ニルファー・パズィラ)は、地雷で足を失った妹を救おうと、亡命したカナダから再びアフガニスタンに戻ってきました。手紙が何ヶ月もかかって届いた上に、ビザがなかなかおりず、皆既日食の日まで後3日という時になってやっと、赤十字のヘリコプターで国境を越えることができたのです。
親族の男性に伴われない女性の外出は禁止されているので、ナファスは、お金を払って、ある男性の第四夫人として、その家族とともにカンダハールに向かいます。
緑も標識も集落も見えない砂漠の中を、通りがかりの人の車かロバ車に乗せてもらう旅。ついには、花嫁行列の中に紛れ込んで「花嫁のいとこ」として、徒歩でカンダハールを目指します。
◆パラシュートにつけられた義足赤十字のキャンプには、地雷で手や足を失った人が大勢来ています。どの人も十分な治療がなされないので、痛みが取れず夜も眠れないと訴えています。自分の足にあった義足を作ってもらうためには、一年待たなくてはなりません。それまでは、間に合わせの義足でがまんするのです。
赤十字のヘリコプターがやってくると、キャンプからヘリコプターへ無線で義足の種類を連絡します。それを受け、落下傘をつけた義足が空から砂漠へ落とされます。いくつも、いくつも……。足を失った男性たちは、砂漠の中を松葉杖で必死に走ります。……ここは、なんともせつない場面です。
「ブルカは飾りではなく、かぶるものだ!」
息苦しいブルカをきらってすぐ顔を出すナファスに、偽りの夫はきつく言います。ブルカは、女性の体を頭からすっぽりと覆っています。映画では、最後の花嫁行列のシーンで、細かいプリーツの布や色とりどりのブルカを着た女性たちが大勢出てきます。頭部や、視界を確保する網になっている窓の部分にすばらしい刺繍がほどこされていて、女性たちは限られた世界の中でも、いろいろとおしゃれを楽しんでいることがわかります。
彼女たちはブルカの中に、壺、楽器、本など、いろいろなものを隠していす。男性がブルカをかぶり、女性になりすましていることもありますが……。ブルカは風紀の取り締まりから女性に与えられたものですが、ブルカの中の狭い世界で、女性たちは自分だけの安心できる世界を作っていたのです。
◆モフセン・マフマルバフ監督の本監督は、『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない。恥辱のあまり崩れおちたのだ』(現代企画室 本体1,300円、2001.11.30刊)という、アフガニスタンについてのレポートを出版しています。あわせて、お読みください。
映画の中で、イランの難民キャンプからアフガニスタンに帰還する子どもたちに、先生は言います。
「アフガンに帰ったら、家からは出られません。でも、希望は捨てないで。たとえ塀が高くても、空はもっと高い。いつか世界の人々が助けてくれるでしょう。もし助けてくれなかったら、自分で何とかするのです。そして家が窮屈に思えたら、そっと目を閉じて、虫のアリになってみなさい。家が大きく見えます。」
数日前のニュースでは、ブルカから顔を出し、大学に行く喜びにあふれる若い女性たちの笑顔が映し出されていました。不安定な政権、複雑な民族問題など、たくさんの不安材料をかかえているアフガニスタンですが、私たちも市民レベルで協力できたらと思います。