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 落穂拾い

2002年2月

Les glaneurs et la glaneuse

落穂拾い

  • 監督:アニエス・ヴァルダ
  • 製作・シネタマリス
  • 音楽:ジョアンナ・ブルズドヴィチュ

2000年 フランス映画 82分

  • 2000年ヨーロッパ映画賞最優秀ドキュメンタリー賞
  • 2000年フランス映画批評家協会賞最優秀映画批評家賞
  • 2000年シカゴ映画祭ゴールド・ヒューゴー最優秀ドキュメンタリー賞
  • 2000年国際ニューシネマ&ニューメディア祭観客賞
  • 2000年ウィーン映画祭スタンダード誌読者批評家賞
  • 2001年サンタ・バーバラ国際映画祭洞察賞
  • 2001年セザール賞特別名誉賞

ある日ヴェルダ監督は、取り引きの終わった市場で、残された段ボール箱の中からさまざまな食べ物を拾う人々を見かけます。箱を広げ、中から果物を取り出し袋に入れる。形はきれいではないが、まだ食べることができるリンゴやみかん、ちょっと黄色くなりかけているパセリやセロリ。女性ばかりでなく、若い男性も拾っています。時々、口に入れながら……。

パリのカフェにいた、ヴェルダ監督は、目の前の市場で展開されている、物を拾う人たちの姿に目を引かれました。そして、ミレーの「落穂拾い」の絵を思い出すのでした。

ミレーの「落穂拾い」は、ご存知のように女性たちが落ち穂を拾ったり、束ねたり運んだりする風景を描いたものです。「昔の絵画でも、一人は珍しく、女性は仲間と一緒にいる。しかし、一人を描いたものもあった。ジュール・ブルトンの絵だ。」彼女はさっそく車を飛ばし、アラスの美術館に向かいます。ヴァルダはブルトンの絵の前で、落穂を肩にかつぎ絵の中の女性と同じポーズを取ります。

「この映画には、もう一人の落ち穂を拾う女がいる。私だ……。」彼女は、映像の落穂拾いをしようと思い立ちます。

「田舎では、まだ落ち穂拾いをしているのかしら……。」デジタルビデオカメラを片手に、現代の「落穂拾い」を見つける旅に出ます。物を拾う人々を映し出すことによって、飽食、消費主義の豊かな現代社会を描き出していきます。また、物を拾っている人々の生活の知恵に感嘆しています。ヴァルダ監督は、今年72歳。複線として、ヴァルダ監督自身の老いた手が、たびたび映し出されます。

彼女はこう語ります。
   「怒りとは違う、絶望とも違う。老化が敵なのではない。
   たぶん、老化は友だろう。……
   この手がやがて来る最期を告げる。」

監督自身の長い人生を振り返る姿が入ることによって、「生きる」という彼女のメッセージが強められます。

 

旧約聖書に、次のようなか所があります。

  穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂
  を拾い集めてはならない。ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落
  ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残してお
  かねばならない。わたしはあなたたちの神、主である。
                          (レビ記 19章9~10節)

畑:

トラクターが掘り起こした後に残っているジャガイモを、鎌を手に掘り起こす人。収穫されたジャガイモの中から、規格品以外の大きなジャガイモが廃棄処分されます。25トンが畑に捨てられました。そのジャガイモを拾いにくる大人、子ども。

収穫の終わったリンゴ園。葉っぱの影に隠れた、摘み残しのリンゴを採る人たち。枝を振って落ちたリンゴを拾う人。ぶどう園、然り。イチジクの果樹園、然り。キャベツ畑、然り。

嵐の翌日、海岸にうち寄せられた養殖のカキを拾う人々。漁師たちは言います。「拾う権利はある。養殖場から25メートル離れればね。拾う量は一人5キロまで。」距離や量は、人によって数が違います。大潮のときも収穫があるそうです。

刑法典を手にした弁護士が登場します。
「落穂拾いの時間は、日の出から日の入りまで。そして、収穫後に行うこと。これは、1554年の勅令ですが、現代でも効力があります。貧しい人やひどい境遇にいる人たちが、収穫の後、畑から作物を拾うこを認めています。

フランスの法律が、聖書からその精神を取っているかどうかは知りませんが、すばらしいですね。日本の法律にも、こういう条項があるのでしょうか?
 

廃棄物:

次は、粗大ゴミの収集日。冷蔵庫、フリーザー、ガスレンジ、テレビ、マットレスを拾う人。
再び弁護士の登場。
「作物と廃棄物は違います。これらの所有者は存在していません。彼らは捨てたかったのです。通常の所得方法ではありませんが、拾った人が合法的な所有者となります。」

テレビから銅の部分だけを取っていく人、芸術品を作るためにめぼしいものを拾う人。冷蔵庫を拾って、収納家具として使えるよう手直しをする人。

市場:

再び、取り引きの終わった市場へ。

捨てられいる木箱の中から、拾っては食べている男性がいます。彼はいつも来ていて、熱心に物色しています。リンゴはいくらでもあって一日に7個も見つけるとか。チコリやセロリを袋に入れました。朝はパン屋さんのゴミ箱をのぞきます。前の日に焼いたパンが捨てられるのです。彼は修士課程を出ており、補助教員をしていたこともあるそうですが、今は駅で新聞や雑誌を売って暮らしています。

彼が住んでいる施設の住人の半分は、字が読めない外国人です。6年前から、ボランティアで彼らに読み書きを教えるようになりました。教材は、すべて彼の手作りです。

映像の落ち穂拾いをしてきたヴェルダ監督は、彼との出会いが最も印象的だったと語ります。

「落穂拾い」の映画は、ヴィルフランシュ美術館にあるエドワンの「嵐を避ける落ち穂拾い」で終わります。

 

思いついたことをメモするように、監督は、目に映るものを次々に映像におさめていきます。彼女の「落穂拾い」です。こうして、何も手を加えられていない現代社会が、そのまま映し出されていきます。ヴァルダ監督とカメラの中の人物との会話、撮影しながら語る監督の感想を聞いていると、日本人にはない、フランス人独特のウィットに富んだ、哲学的な見方を感じました。さらに、彼女の独特の人や物を見る優しい視点が加わり、彼女のはっきりしたメッセージが、ひたひたと迫ってきます。

ヴェルダ監督から、忘れてはいけない視点を教えてもらいました。年を取っても、彼女のように社会のゆがみ、矛盾に立ち止まる感性を持ちたいと思いました。

 ヴェルダ監督の世界に、ぜひ触れてみてください。

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