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 平塚らいてうの生涯

2002年3月

― 元始、女性は太陽であった ―

平塚らいてうの生涯

  • 記録映画
  • 監督:羽田澄子
  • 製作:青木生子
  • 語り:喜多道枝
  • 音楽:湯浅譲二
  • デザイン:朝倉摂
  • 企画:平塚らいてうの記録映画をつくる会

2001年 日本映画 2時間20分

  • 日本映画ペンクラブ賞ノンシアトリカル部門1位

「平塚らいてう」については、『青鞜』(せいとう)を創刊し、女性解放運動の創始者としての教科書の中の人物という意識しかありませんでした。しかし、この映画を見終わったとき、彼女は同時代を共有していた人であり、また、妻、母であるステキな女性として、親しみを感じるようになりました。「女性とは……」ということを意識させ、女性の解放と世界の平和のために真剣に生きた平塚らいてうについて、もっと知りたいと思うようになりました。
 

「男性の影にいきる女性」という時代からの解放者

1911年、日本初の女性だけによる文芸誌『青鞜』は、平塚らいてう〔本名:平塚明(はる)〕を中心とする若い女性たちの手で、女性が持っている才能を花開かせようと創刊されました。25歳の平塚らいてうは「元始、女性は太陽であった」という有名な言葉を掲げ、創刊号を飾っています。

あまりにも有名なこの言葉は、これだけだとウーマンリブ的な強さを感じるのですが、実はその後が大切なのです。

 「元始、女性は太陽であった」
      ―『青鞜』発刊に際して ―  らいてう

   元始、女性は実に太陽であった。真正(しんせい)の人であった。
   今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、
   病人のような蒼白い顔の月である。
   さてここに『青鞜』は初声(うぶごえ)を上げた。
   現代の日本の女性の頭脳と手によって始めてできた『青鞜』は初声を上げた。
   女性のなすことは今はただ嘲りの笑を招くばかりである。
   私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたるあるものを。……

平塚らいてうの生涯

女性は、男性によって生き、男性によってしか輝くことができない存在、つまり女性としての自己を表して生きることができなかった時代の中で、「元始、女性は太陽であった」は、女性による、力強い「人間宣言」でした。家長が絶対的権威を持っていた社会、ひいては、国家が権力を行使していた社会の中で、女性は制約のある生き方を強いられてきました。この『青鞜』創刊は、日本の歴史の中で、女性としての存在を、自らもそして他者にも認識させていく歩みの出発点になっているのです。「解放」とか「運動」と言わなければいけないほどの、強いエネルギーが必要なときでした。
 

平塚らいてうの活動

1886年、明は、会計検査院に勤務する官吏の定二郎と、町医者の家に生まれた光沢(つや)の次女として生まれました。お茶の水高女、東京女子大などで学び、一方では禅の道を極めていきました。22歳のときに「塩原事件」(心中未遂)を起こし社会を騒がせます。生田長江のもとで思想や文芸の話を聞き、彼の勧めがあって、1911年『青鞜』を創刊します。このときから「らいてう」というペンネームを使うようになります。翌年、年下の画家・奥村博と運命的な出会いをし、家を出て博との共同生活を始めます。婚姻届けを出すのは55歳のときですが、博との間には、一男一女が恵まれました。;

1915年『青鞜』の発行を伊藤野枝にゆずった後は、執筆、講演会、「新婦人協会」「消費組合」「日本産児調節連盟」など、いろいろな団体の結成のために働きます。終戦後は全面講和を求めての活動が始まります。;

1953年には「日本婦人団体連合会」を結成。1958年には、「完全軍縮支持、安保条約破棄を訴える声明」を各界の25名の女性との連盟で発表、1966年、ベトナム戦争終結を望んで「ベトナム話し合いの会」をおこし平和のために働きます。死の一年前、1970年には、世界婦人大会で決まった「ベトナム母と子保険センター」設立運動のために、国内での呼びかけに奔走します。そして、夫・博の死から7年後の1971年、らいてうは85年の人生を閉じました。

 

この映画は、らいてうと共に戦後を歩んだ櫛田ふき氏(故人)と小林登美枝氏の提唱を受けて、「平塚らいてうの記録映画を作る会」が組織され、日本を代表する女性監督・羽田澄子氏によって製作されました。

羽田監督は、らいてうが動くたった14秒の映像フィルムと、ご子息が持っていらした写真、さらに当時の社会の様子を写すフィルムを用いながら、彼女がまるで動いているかのように描いています。映画の中では、女性解放運動者としての活動家・らいてうだけでなく、妻として母としての家庭での姿も描かれ、魅力的な女性「平塚らいてう」が生きています。

日本社会が今の状態になるまでには、平塚らいてうと仲間たち、その後の続く女性たちの大きな貢献がありました。先輩たちのこの働きを、同じ女性として大切にし、忘れてはいけないと思います。

平塚らいてうの生涯を知ることは、日本女性の歩みを知ることでもあり、また、日本の戦争にあけくれた20世紀の歩みを知ることでもあります。その意味で、この映画は、貴重な資料です。

「女性として生きる」ということを考えるよう、意識させられました。「女性」とは何か、男性と共に生きるとはどういうことか、女性として、子として、妻として、母として、人間として生きるとはどういうことか……、人間の根本的な視点に立たせてくれる映画です。ぜひ、ご覧ください。

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