お薦めシネマ
マジェスティック
2002年7月
The Majestic
- 監督・製作:フランク・ダラボン
- 脚本:マイケル・スローン
- 出演:ジム・キャリー、マーティン・ランドー、ローリー・ホールデン
2001年 アメリカ映画 2時間33分
コメディアン、ジム・キャリーが主演の、まじめなお話です。
時代は、1950年代。当時の服装やヘアースタイルのせいでしょうか、それともお話が映画の世界が舞台だからでしょうか、最初は、いかにも“映画”という感じがあり、ジム・キャリーの表情もどこか作ったような感じで、入り込めないでいました。しかし、場面が映画界から小さな町に移っていったころからぐいぐいと引き込まれ、2時間半という長さを感じませんでした。
後半は、全く想像しなかった展開になり、見終わった後、なんとも幸せな気分になったのです。うれしくなって自然と口がほころび、このままずーっと映画の世界にひたっていたいな~~~と思ってしまいました。これこそが、「マジェスティック」という名の映画館について映画の中で語っているとおり、“”人々に夢と希望を与えてくれる映画”なのでしょう。
物語
1951年のハリウッド。新進脚本家のピーター(ジム・キャリー)は、デビュー作の「サハラの海賊」が上映され、そのポスターに載っている自分の名前を見て、幸せをかみしめていました。しかし、彼の生き方は、いかに観客に受ける映画にするか……と話し合っている監督やプロデューサーたちの意見に対し、迎合しているだけでした。
それでも、女優の恋人との間も順調で、上り坂の人生が始まろうとしていました。しかし、ハリウッドにも「赤狩り」の波が押し寄せ、ピーターは、突然共産主義者のレッテルを貼られてしまったのです。
非米活動委員会から、審問会に呼び出されてしまいました。恋人にも逃げられ、仕事も干され、ハリウッドから見放されて奈落の底へ落とされたピーターは、「もう、これで終わりだ」と、やけ酒をあおります。自暴自棄になったピーターは、車を運転しながらこう思います。「このままどこまでも海岸線を走り続けて、どこかの町についたら、そこで新しい人生を始めよう。」しかし、この言葉が実現してしまうのです。
激しい雨のため、高い橋の上でスリップしたピーターの車は、川に落ちてしまいました。翌朝、ピーターは、打ち上げられた海岸の砂浜で意識を取り戻しました。しかし、彼は、過去の記憶をすっかり失っていたのです。
散歩していた老人に助けられたピーターは、老人が住む近くの町、ローソンへ一緒に行きます。ローソンの町は、とても静かな町でした。というのも、この町は、戦争で62人の若者を失い、すっかり活気をなくしていたのです。
町の人々は、ピーターを見ると不思議な顔をしました。「ルークじゃない?」
「ルークだ。ルークが帰って来た!」
ルーク・トリンプルは、第二次世界大戦に出征し、戦場で8人の仲間を助けて勲章を受けましたが、その後、行方不明になりました。ルークの墓を作りながらも、息子は生きていると信じていたルークの父ハリー(マーティン・ランドー)も、ピーターの姿を見て、息子が帰ってきたと泣いて喜びます。ルークの恋人で、司法試験を終えたアデル(ローリー・ホールデン)も、ルークが生きて帰ったとの知らせを受け、ローソンに戻ってきます。町長は、ルークの帰還を喜び、お祝いのパーティーを開きます。ローソンの町でお祝いが開かれるのは、戦争以来、初めてのことでした。ルークが生きて帰ってきたということで、町の人々も生き生きとしてきます。
ルークを亡くした後、ハリーは、経営していた「マジェスティック」という映画館を閉鎖していましが、息子が戻ってきたことから、廃屋同然となった「マジェスティック」を再開しようとします。ピーターは、町の人々や、ハリー、アデルから昔のルークの話を聞きながら、次第にルークとして生き始め、映画館再建に熱意を傾けます。
町中の人々の協力を受け、「マジェスティック」は赤々とネオンを輝かせ、町は昔の元気を取り戻しました。ピーターはこの町で生きていこうとします。しかし、映画「サハラの海賊」の公開ポスターを見たとき、ピーターは過去の記憶を取り戻します。自分が誰であるかわかったピーターは、ハリーに告げようとしますが、ハリーは映写機を回しながら倒れ、帰らぬ人となります。
時を同じくして、非米活動委員会の人々がピーターを捜し出し、ローソンの町にやってきました。町の人々は冷たく去っていきます。審問会で、用意されているウソの誓約書を読めば釈放される手はずになっていました。ルークでないことがわかってアデルはガッカリしますが、自分にウソをついて危険から逃れようとするピーターの生き方に対し、ルークだったらそんなことはしないと怒ります。そして「アメリカ合衆国の憲法」を手渡します。そこには、国民には、宗教、思想、言論の自由が認められていることが書かれていました。
審問会に出席するため、ローソンの町を去るピーター。電車の中でピーターは、「アメリカ合衆国の憲法」を手にしながら、ルークを思い続けていました。
アデルや町中の人々がテレビ中継を見守る中、いよいよ審問会が開かれます。そこでピーターは、思いがけない行動に出るのです。
ピーターは、身に覚えのない出来事によって、人々が冷たく去っていくという悲しい思いを2度も体験し、まさに翻弄される人生です。しかし、ルークという人を通して、“自分自身に正直に生きる”ことに目覚めます。ルークを通して、町の人々から愛され、人々に希望を与えることができるということを体験し、“生きる”という希望をもらったのです。
審議会でのピーターのとった決断は、映画を見る者にも勇気を与えてくれます。元気をもらえる映画です。「また、見たい!」