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グレースと公爵
2002年12月
L'anglaise et le Duc
- 監督:エリック・ロメール
- 原作:『グレースと公爵』グレース・エリオット著(集英社文庫)
- 絵画:ジャン=バティスト・マロ
- 出演:ルーシー・ラッセル、ジャン=クロード・ドレフュス
2001年 フランス映画 125分
- 22001年ヴェネチィア映画祭金獅子賞(永年功労賞)受賞
フランス革命の中、ルイ16世を敬愛し、パリで生きた英国人女性、グレース・エリオットの手記に衝撃を受けたエリック・ロメール監督が、10年間かかって映画化されました。血を見る革命時代のさなか、毅然と生きたグレースという魅力的な女性の生き方と、CGで見せるセピア色の絵画の背景が、この映画を重厚なものにしています。
物語
国王ルイ16世を敬愛していた、英国人グレース・エリオットと、革命派に傾いていた急進派の仲間になりつつあったオルレアン公爵は、以前は恋愛関係にあったが、今は、男女の愛を越えた、より深い尊敬と愛で結ばれていた。グレースは、かわいそうな女の子を家に引き取って教育を与えるような、隣人愛に燃えた女性だった。
1790年7月14日、バスティーユ攻撃から一年後、イギリスから戻ったオルレアン公爵は、パリに住むグレースの館を訪問した。しかし、2人の思いは、異なっていた。
1792年8月10日、王権の停止を求めて、民衆と連盟兵はテュイルリー宮殿に向かった。国王を護っていた衛兵も民衆側につき、国王一家は投獄される。この騒ぎの中、パリにいることに危険を感じたグレースは、街に転がる兵士たちの死体を避けながら、やっとの思いで、パリの郊外にあるムドンの別宅にたどり着いた。
1792年9月3日、いわゆる「9月の大虐殺」の中、グレースは、助けを求める友人に呼ばれ、危険なパリに戻る。群衆は、荒れ狂っていた。「みなが、命を賭けているこの時代、自分も彼らに連帯して、命を賭けて人を救いたい」と決意したグレースは、友人の求めに応え、反逆者であるシャンスネ侯爵をかくまうことにする。彼は、オルレアン公爵の政敵であった。しかし、そのとき、シャンスネ侯爵をかくまっているのではと疑われ、反革命容疑者に対する家宅捜索を受ける。グレースは、とっさの判断で、シャンスネ侯爵を自分のベットに隠し、彼を助けることに成功する。グレースはオルレアン公爵に、シャンスネ公爵をイギリスに逃すために協力を求める。オルレアン公爵は、グレースのために手助けをする。
1793年1月21日、国王ルイ16世の処分を決める議会の日が来た。オルレアン公は、王の処刑に反対する票を投ずるとグレースに約束したにも関わらず、処刑賛成に投票する。結果、ルイ16世の処刑が決まる。
オルレアン公爵の裏切りを知ったグレースは怒り、オルレアン公爵からのプレゼントや彼の肖像画を処分してしまう。そして、ムドンの丘から、国王の処刑を見守る。
国王の死を悼み、喪服で過ごしていたグレースは、再び家宅捜索を受け、託された一通の手紙を持っていたことから、疑いをかけられ投獄される。監視委員会の審判を受けることになり、そこで、やはり捕らえられていたオルレアン公爵と出会うが、それが公爵との最後の別れとなってしまった。グレースは、危ないところを、ロベスピエールの一言によって釈放されるが、オルレアン公爵は、その後、革命政府打倒の画策が失敗し、1793年11月、断頭台で処刑される。その後、恐怖政治の下、処刑者の数は増えていった。
優雅に生活している貴族の話し方や歩き方、召使いを使っての生活に、見はじめは抵抗がありました。フランス革命については、自由と平等を求めて行動を起こした貧しい市民たちの側に立ち、ごく一部の貴族たちのおごりたかぶりに反対していたからかもしれません。しかし、貴族の側から見ると、彼らには彼らのフランスへの思いがあり、市民を助けていた生活があったのです。グレースは、市民からも愛されていた貴族でした。
映画「グレースと公爵」は、貴族の側から見たフランス革命ともいえます。現代でも、革命や紛争による政権交代は、立場が逆転して命の危機をともなうものです。そのような危うい状況の中でも、神のご保護を願いながら、自分で自分の身を守り、敵味方なく人を救うという生き方を、責任を持って生きたグレース。
男性でも生きるのが難しい時代に、一人でも、確固として気高く生きた女性の物語です。外圧に屈することなく自分の信念を守って生きた彼女の真の強さは、現代の私たち女性に、多くの刺激を与えてくれます。