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 午後の五時

2004年7月

At Five in the Afternoon

午後の五時

  • 監督:サミラ・マフマルバフ
  • 脚本:サミラ・マフマルバフ、モフセン・マフマルバフ
  • 出演:アゲレ・レザイ、アブドルガニ・ヨセフラジー、
        ラジ・モヘビ、マルズィエ・アミリ

2003年 イラン=フランス映画 105分

  • 第56回カンヌ国際映画祭審査委員賞受賞

タリバン政権下のアフガニスタンでは、映画を製作したり見ることも禁じられていました。しかし、2001年9月のタリバン政権崩壊後、人々はこのような抑圧から解放され、女性たちは学校へ行くことができるようになりました。イランのサミラ・マフマルバフ監督が、22歳のときに撮影した映画「午後の五時」は、サミラ監督と、監督がカブールの街を歩いて探した主人公を演ずる女性アゲレとの出会いによって生まれた作品です。

サミラが、主人公を演ずる女性を探す様子は、サミラの妹・ハナの撮影した「ハナのアフガンノート」をご覧ください。サミラは、抑圧されてきたタリバン政権から解放されたアフガニスタンの女性たちが、今、何をめざし、どう生きているのかを、世界に伝えてくれました。そこには、時代や国境を越えた「女性の哀しみ」が描かれています。

物語

タリバン政権崩壊後のカブールの街。爆撃で建物は破壊され、家を失った人々が難民となって壊れた建物に集まっていた。「女性は家にいて、子育てと料理をしていればよい」というタリバン政権下では、女性たちは学校に行くことも、働くこともできなかった。今、自由がやってきたはずだが、いまだに男性からブルカを被ることを求められ、娘は父親に逆らえない。ブルカを被らずに歩いている女性と出会った男性は、見てはいけないものを見てしまったように、あわてて手で顔を覆い壁の方を向いて、神に赦しを請うのだった。

ノクレ(アゲレ・レザイ)は、父親(アブドルガニ・ヨセフラジー)の荷馬車に乗って宗教の学校に通っている。父親はそう思っていた。しかし、青いブルカを被ったノクレは、荷馬車を降り路地に入ると、ブルカから顔を出し、カバンの中に隠していた白いハイヒールに履き替え、日傘を差して歩きはじめる。宗教の学校ではなく、普通の学校に通っていたのだ。

午後の五時

その日、女性の先生は生徒たちに将来の夢を尋ねた。最後に「大統領になりたい人は?」と質問した。一人の少女とノクレが立ち上がった。「大統領は男がなるもので、女には無理。女には、知恵が与えられていないから……」。男性からの教えは、女性たちの間にしっかりと植えつけられている。しかし、少女とノクレは「大統領になったら……」と、他の生徒たちの前で夢を語った。

学校が終わり、白いハイヒールを再びカバンの中に隠し、父親の馬車に乗って家に帰った。家といっても、廃墟である。ノクレは、父親と、パキスタンへ出稼ぎに行って音信不通になっている夫を待っている姉(マルズィエ・アミリ)、姉の赤ん坊と暮らしている。食べ物がないので、姉のお乳も出なくなっている。

ノクレが水桶を肩にして水を探して歩いていると、パキスタンから帰ってきた人々を乗せたトラックが到着した。帰る家のない彼らに、壊れた家でよかったらと、ノクレは自分たちのいる廃墟へと案内する。しかし、大勢の人が来たことによって、ノクレたちの居場所はなくなり、隣に陣取った老人が聞いているラジオの騒音でいらだった父親は、ノクレと姉たちを連れて家を出る。やがて、壊れた飛行機を見つけ、そこをねぐらに決める。

翌日、学校へ行くノクレの前に、一人の青年(ラジ・モヘビ)が現れる。彼は、ノクレが案内した帰還民の中にいた青年だった。青年は、パキスタンでブットが大統領選に出馬したようだと伝える。ノクレは、彼女の演説の内容を知りたいと青年に願う。

ノクレたちが住みはじめた壊れた飛行機も、再び帰還民たちが押し寄せてきて、居場所がなくなった。父親はそこから出て、今度は廃墟となっている宮殿を見つけ、そこに落ち着く。ノクレは水を求めて宮殿の回廊を歩く。水滴の音は聞こえるが、水を見つけることはできない。食べるものもない。

やがてノクレは、大統領になりたいと言っていた少女が、爆発事故で亡くなったことを知り、ショックを受ける。

ノクレは、宮殿が建っている丘の下で警備しているフランス人兵士を見つける。彼女は近づいていって片言の英語であいさつし、大統領はだれかと尋ねる。そこへ、自転車に乗ったあの青年が通りかかる。青年は、ノクレが大統領選に出るために必要な顔写真を撮りにいこうとノクレを誘う。ノクレは、詩人だという青年の自転車に乗り、カブールの街へ走る。少し前までは、男女で自転車に乗ったり、ブルカの下から足を出すことなど考えられなかった。今、ノクレは青空の下、気持ちよい風を身体に感じている

午後の五時


 

居場所がなく、食べ物もなく、最後の生命線の水を探す毎日。乳の出ない乳房を吸う赤ん坊は寒さの中で死んでいく。馬も重い荷を運べず、家族は唯一の家財道具だった馬車を燃やして暖をとる。静寂を求めて逃れていく先は、砂漠の地平線の彼方。その先にあるのは、死のみである。

タイトルの「午後の五時」は、闘牛士の死を悲しむスペインの詩人ロルカの詩の一節です。


   午後の五時……のこるは死だけだった。
   あらゆる曲がり角に静寂は広がる。

圧政から解放され、自由がやってきたはずのアフガニスタン。しかし、そこには、今までとは違う、生きていくことさえ厳しい現実がありました。そんな中で、勉強したいと望んだ女性は、とてつもない夢「大統領になる!」という望みをいだきます。それは、実際に大統領になるということではありません。男性の言いなりの生き方ではなく、自分の中に生まれてくる希望を大切にし、それに向かって少しでも近づきたいという人間として当たり前の生き方です。詩人の青年に励まされ、ノクレは次第に自信を持っていきます。水を求めて歩く毎日ですが、心の中の希望は大きくなっていきます。そのときの彼女は、とてもきれいです。人間の美しさを見せてくれるノクレ。「人間らしく生きることは、こんなに貴重なことなんだ」と、ノクレは世界中の女性たちに教えてくれます。人は生涯、自分の居場所を求めさまよう存在なのかもしれません。奥の深い作品です。

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