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お薦めシネマ
石井のおとうさんありがとう
2004年11月
- 監督:山田火砂子
- 原作:横田賢一著『岡山孤児院物語』(山陽新聞社刊)
- 音楽:石川鷹彦
- 出演:松平健、永作博美、竹下景子、辰巳琢郎、今城静香
2004年 日本映画 110分
「石井のおとうさんありがとう」は、「はだしのゲン」の監督・脚本で有名な山田火砂子監督が、20年も前からあたためていた作品です。石井十次は「日本の福祉の父」とも呼ばれている偉大な人物ですが、彼のことを知っている人はあまり多くありません。「どうしてこんな偉い人を知らないのか。だから12歳の子どもが人殺しをするような世の中になってしまったのだ」と嘆いた山田監督は、「これを見た12歳の子が人殺しをしないような映画を作りたい! 世直しの映画にしたい!」という熱い思いを抱き、石井十次の生涯を映画化しました。
キリスト教の精神に基づいて、3000人もの孤児たちを救った十次は、1865年宮崎県で生まれました。17歳で岡山県甲種医学校に入学、19歳でキリスト教の洗礼を受けます。そして22歳のとき、診療所で代診していたときに、2人の子どもを連れた貧しいお遍路姿の母親に助けを求められたことから孤児とのかかわりがはじまります。その後十次は、医師として生きる道をなげうって、孤児たちのために生涯をささげる決断をします。
十次は、子どもたちの衣食住の世話だけでなく、彼らが社会に出てからも生きていけるよう教育もしました。子どもを守るための法律や、国からの援助などない時代に、「親のない孤児よりももっと不幸なのは、心の迷い子、精神の孤児なのです」と語り、大きな福祉活動を展開していった石井十次とはどのような人物だったのでしょう。
物語
ブラジルに住んでいる日系ブラジル人の西山洋子(今城静香)は、臨終の祖父から変色した一枚の写真を手渡される。そこには一人の屈強な男性が写っており、裏には「石井のおとうさんありがとう」と書かれていた。洋子は、自分のルーツを探るため、また「石井のおとうさん」はだれなのかを調べるために日本へと旅立つ。祖父が育った宮崎の地に来た洋子は、児童施設の園長から、祖父の育った岡山孤児院と、その創設者石井十次の名を知る。園長は、石井十次について語りはじめる。
十次(松平健)が、妻の品子(永作博美)の助けをかりて診療所で代診をしていたある雨の日、2人の子どもを連れた遍路姿の貧しい母親が玄関先に立った。「貧しくて子どもたちを食べさせることができない。上の男の子を預かってもらえないか」というのである。「後で必ず迎えに来るから」と、母親は下の女の子の手を引いて、逃げるように去っていった。
その男の子のために、十次が庭にブランコを作っていると、近所の男の子たちがうらやましそうにやってきた。十次は、男の子と一緒に遊んでやってくれと頼むが、子どもたちは、「親のいない子!」とバカにする。この子と遊ぶことを条件にブランコに乗せてあげると、子どもたちは喜んで一緒に遊びはじめた。このとき十次は、心の垣根を取り払うことの大切さを学ぶ。
ある日、十次が歩いていると、橋の上で浮浪児たちが物乞いをしているのを見た。十次は、何もせず座って物乞いをするのではなく、自分のところに来て働かないかと子どもたちに呼びかける。最初は抵抗していた子たちだが、やがて十次の家にやってくる。
十次は、孤児たちの教育に専念するため、医学の道をあきらめることを決意し、6年間学んできた医学書を焼いてしまう。困窮しはじめた生活のため、十次は、通っているプロテスタント教会の礼拝で寄付を呼びかける。十次の話に、まず気っぷのいい芸者の小梅姉さん(竹下景子)が応えてくれた。そして次々に、各自のできることで助けてくれる協力者が名乗りをあげる。この後十次は、教会員の寄附に頼りながら、また後には、大企業家の大原孫三郎(辰巳琢郎)の支援を受けながら、孤児救済事業を広げていく。
子どもたちの数が増えるに従って、品子の一日は、子どもたちの食事や生活の世話で忙しくなった。品子への相談もなく子どもたちを連れてくる十次の行動を、最初は受け入れていたが、とうとう我慢ができなくなり、泣きながら実家に帰るため荷物をまとめだす。そんな品子を押しとどめたのは、最初にやってきた男の子たちだった。「あなたは、ぼくたちのおかあさんだ」という言葉に、品子も彼らの母親となる決意をする。しかし、過労がたたって床に就くようになり、十次に抱きかかえられて子どもたちの姿を見ながら、帰らぬ人となる。2人の間には、3人の子が残された。
日清戦争や日露戦争の戦災孤児に加え、明治38年の東北の大飢饉での孤児たちがやってきた。岡山の孤児院はますます大きくなるが、財政的にはいつも困窮を極めていた。そこで十次は、あることを思いつく。
十次が、なぜここまで子どもたちのために献身できたのか。そこには、十次の母の姿がありました。十次が小さいとき、いつも一緒に遊ぶ、仲良しの友だちがいました。その子の家は貧しく、帯の代わりに縄で腰を絞めていました。そのことで近所の子どもたちからいじめられている姿を見た十次は、すぐ自分の帯をほどいてその子にあげ、自分は縄で腰をしめました。十次からその話を聞いた母は、「それはよいことをしました」と十次をほめました。こそのエピソードが映画に出てきます。この母がいたから、十次がいたのか……と、感動する場面でした。
困った人を見ると、助けようと身体が動いてしまう十次は、今の私たちに何を語りかけているのでしょう。日本の近代史の中で、隠れた存在として偉大なことをした石井十次の生涯を、ぜひご覧ください。