home>シスターのお薦め>お薦めシネマ>あおげば尊し

お薦めシネマ

バックナンバー

 あおげば尊し

2006年1月

あおげば尊し

  • 監督:市川準
  • 原作:重松清(『卒業』新潮社刊)
  • 出演:テリー伊藤、薬師丸ひろ子、伊藤大翔、麻生美代子、加藤武
  • 音楽:岩代太郎
  • 配給:スローラーナー

2005年 日本映画 82分


佐世保の小学校で、同級生の女の子を教室で刺殺するという事件がありました。そのとき、同じ小学6年生にアンケートを取った結果、小学6年生では、「死」ということが具体的には、まだ理解できない子がいるということがわかりました。祖父母と暮らす家族が少なくなった今日、「死」というものが、遠くて実感のないものになってきています。どのように「死」の意味を教えるか、「いのち」の尊さを伝えるかということは、難しい問題になっています。

映画「あおげば尊し」は、「死」をテーマにしています。反対に言えば、「いのち」や「生きる」をテーマにしているとも言えるでしょう。子どもだけでなく、大人でも、親の死をどう受けとめるか、悔いのない人生をどう生きたらいいのか、自分の人生をどうしめくくるのか、家族の「死」を体験した子どもたちの心の傷をどう癒していくのか、子どもたちに「死」をどのように教えたらいいのか……。いろいろなことを考えさせられる作品です。

物語

光一(テリー伊藤)は小学校の教師で、5年生の担任だ。光一の父(加藤武)も教師だった。その父が末期ガンで、長くて後3か月と宣告される。病院ではもう何もすることがない。「いい思い出を作ってあがてください」と主治医に言われたた光一は、父の望むような日々をすごしてもらおうと、在宅看護を決める。父を連れ帰った日、すでに父を亡くしている妻(薬師丸ひろ子)は、「これからが大変。在宅で看取ることは覚悟がいるから」と語る。

頑固で厳しい父。いったい父は、どのような教師だったのだろうか。教え子からの年賀状を見たことがないし、 病気になっても、だれ一人見舞いに来ない。「教師として、あまりにもさびしい人生ではないのか」光一は、考え込んでしまう。

ある日、パソコンの授業のときに、康弘はネットの死体の写真に見入っていた。光一は「やめろ!」と一喝してしまう。「どうしていけないの?」と問う康弘に、光一は答えることはできなかった。さらに、近くの斎場から、学校の帰りに康弘らしき児童が来ていると、また苦情の電話がかかってきた。

康弘は、5歳のときに父親を亡くした。そのとき康弘は、手をのばした父の手を握ることができなかった。母親が再婚して引っ越したマンションでは、それまであった仏壇がなくなった。康弘の事情を知った光一は、クラスの生徒に、課外授業として、自宅で寝ている光一の父の世話をさせることを思い立つ。そのことを話すと、母(麻生美代子)は反対するが、父は小さな声で「みせてやれ」と答えてくれた。

児童たちは、交代で光一の家にやって来た。しかし、最後まで続いたのは康弘だけだった。康弘は自分の父の死を思い出して、光一の父の手を握ってみた。

    康弘「あたたかい!」
    光一「生きているんだよ」
    康弘「うん!」

    康弘「父さん、さよなら……」
    光一の父の手を握り続けた康弘は、こうして自分の父の死を受け入れていった。

光一の父は亡くなった。その葬儀のとき、思いがけないことが起こる。

 

「病院で死ぬということ」の市川準監督が、人間にとって重要なテーマを映画にしました。テレビの話一度ショーなどで活躍しているテリー伊藤が、素朴でやさしい気持のもっている教師を演じています。自分の両親にも、妻や子どもにも、また担任のクラスの生徒たちにも自然体で接し、テレビで見るときの印象と違った一面を見ました。「死」は日常のものなのだ、だからタブー視したり、構えたりするのではなく、もっと気軽に語り合う必要を感じました。

▲ページのトップへ