お薦めシネマ
紙屋悦子の青春
2006年8月
- 監督:黒木和雄
- 原作:松田正隆
- 出演:原田知世、永瀬政敏、松岡俊介、本上まなみ、小林薫
- 配給:パル企画
2006年 日本映画 111分
「TOMORROW/明日」「美しい島キリシマ」「父と暮らせば」の戦争三部作を作った黒木和雄監督は、「紙屋悦子の青春」を遺作として、今年の4月12日にお亡くなりになりました。少年時代に戦争を体験した監督が、後世に伝えなくては……と思いを込めて制作した作品の数々です。紙谷悦子の夫役の永瀬政敏さんは、「『人生の哀歌を撮りたい』という監督の言葉が、最大の演技指導でありアドバイスだった」と、記者会見で話していました。
黒木和雄監督
「紙谷悦子の青春」は、戦争場面をまったく描かずに、戦争の苦しみと、死と隣り合わせのあの時代に生きた人々の、愛する人を思う心を、言葉少なに描きました。相手が語るまでじっと待ち、自分の思いを伝えるために言葉が出るのを待つ……。選び抜かれた言葉が、真実の思いを相手に伝えていきます。ゆっくりと時間が流れていきます。
登場する人物は5人。舞台を見ているような、ゆっくりとした場面展開です。主人公の紙谷悦子(原田知世)と兄・安忠(小林薫)、悦子の同級生である兄嫁のふさ(本上まなみ)、悦子がひそかに思いを寄せている兄の後輩の海軍航空隊に所属している明石少尉(松岡俊介)、明石少尉が自分の代わりに悦子を託す親友の永与少尉(永瀬政敏)だ。
桜の咲きはじめから、散るまでの時の流れの中で、兄として、兄嫁であり親友として、愛する人を親友に託す、明日いのちを散らす者として、不器用にしか愛することができない者として、悦子を取り巻く人々の、人を思うやさしい心が描かれていきます。
あの時代は、数回しか出会わなくても、言葉を多く語らなくても、ともにいる時間と互いの存在から感じるものを大切にしていたのでしょう。一つひとつの出来事を味わい、人と人が正面からじっくり耳を傾けあい、互いに今日も生命があることのうれしさを感じていた時代。この味わいが、今失われているように思います。黒木監督が、この映画に託した思いが、いろいろなものを省かれて描かれているセリフと映像から、じわじわと伝わってきました。
悦子やふきたちが話す鹿児島弁、永与少尉の長崎弁、明石少尉の博多弁が出てきます。方言の味わいを、松村禎三氏の静かに流れる音楽とともにお楽しみください。